2012年3月24日 18:17:17


民主党は・すべての人に公正であるために/7つの改革・21の重点政策 

官僚の研究


長野県の無駄遣い


注目


痛快!憲法学 小室直樹 集英社インターナショナル 平成13107

第三章       すべては議会から始まった、

「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(日本国憲法 第41条)

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多数決は「民主主義的制度」だと思ったら、大間違い。民主主義と憲法とは関係ない!

さて、これから「いかにして近代デモクラシーは『国家とはリヴァイアサンなり』と考えるにいたったか」について説明していこうと思うわけですが、まず講義の最初にシマジ君の迷妄を醒ましてあげることにしたい。私がこれから述べることをよく聞いてください。それは何かといえば、『民主主義と憲法とは、本質的に無関係である』ということです。今回の講義は、このことが分かれば話が終わったようなもの。

シマジ ええっ?何ですか、そりゃ。


日本人のほとんど全員が、憲法はデモクラシーの基本、民主すぎの根本法と思っています。
しかし、それは大きな誤解だということです。デモクラシーと憲法は関係ありません。

シマジ でも、それじゃあ、前回の講義はいったい何だったんですか。憲法は国家を縛り、国家の横暴から国民を守るためのものだとおっしゃったではありませんか。デモクラシーを守るために、憲法があるという話はどこに言ったんです か。

それはそれ、これはこれ。とにかく、憲法と民主主義とは本質的には何の関係もない。

シマジ そんなあ。

されに付け加えておけばみんながデモクラシーの基本要素だと思っている議会制度も、多数決の制度も民主主義とは本質的には何の関係もない。皆さんは、デモクラシーとは選挙で選ばれた国民の代表が議会で話し合って、多数決で法律や国家予算を決めていくことだと思っているでしょう。でも、それは大きな間違い、勘違いだと言っているのです。

そもそも、ことの起こりから言うと、憲法や議会などと言う制度はデモクラシーと言う考えが生まれるずっと前からあったものです

議会や憲法は決して民主主義のために発明された制度ではなく、別の目的のために作られたものだったのです。さらに付け加えるならば、これらの制度が作られたのは、むしろ民主主義とはまったく、反対の理由からでした。ところが後になって、憲法や議会制度がデモクラシーの中に取り入れられたものだから、みんな「民主主義イコール議会制度」「民主主義イコール憲法」と思ってしまっているのです。しかし、これはとてつもない誤解というべきでしょ。

もう一度、繰り返します。民主主義と憲法とは、本質的に無関係なのです。

国王はいても、国家がなかったヨーロッパ

では、いったい憲法はいつ、どんな理由で作られたのか。そのこをこれから説明していきましょう。憲法の成り立ちを知るために、まず第一に知っておくべきことは、そもそも今日の私たちが知っているような「国家」ができたのは、さほど昔のことではないと言う事実です。現代のわれわれがイメージする「国家」、すなわち近代国家を特徴づけている3要素とは、国境・国土・国民の3つです。つまり、国境によって明確にしきられた国土があり、その中に住んでいる人々のことを国民と呼ぶ・・私たちの知っている「国家」とは、この3要素が揃ってはじめて成立する。

しかし、このような国境、国土、国民と言う概念が誕生したのは、決して古いことではありません。むしろ、最近のことと言ってもいいでしょう。それ以前は「国」はあっても国境はなく、国土もなければ、国民もいなかった。

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それどころか、国語すらなかった。と言っても、日本人にはこの事を理解するのが至難の業。なぜなら、日本は島国で、海に囲まれています。そして、その日本列島に住んでいたのは、アイヌの人たちや大陸からの移住者と言った少数の例外を除いて、みんな共通の文化と言葉を持っていた。そのために国境や国土がない状態は想像しにくい。ましてや国民のいない国など、想像もできないでしょう。

ところが憲法発祥の地となったヨーロッパでは、国境や国土などと言う考えはずいぶん長い間なかった。ましてや国民などと言う概念もなかった。実はこれが憲法、そしてデモクラシーを理解するために第一に知ってほしいことです。

シマジでも、そうはいっても国はあったわけですよね。「国王」がいたぐらいですから。



契約を守るのが「いい家臣」といわれるわけ

主従関係を結ぶと言うと、日本人の感覚では、家来になった以上は無条件で「主君のために身命を賭す」のが当たり前だと想像してしまうわけですが、ヨーロッパはまったく違う。主従の関係を結ぶ際に、王と領主とが契約を結ぶ。それが主従関係の基本になる。つまり、領主のもっている土地を王が保護してやるかわりに、「もし戦争が起きたら、何人の家来を連れて馳せ参じます」とか、あるいは「王が他国の人質になったら、これだけの身代金を提供します」とか「お姫様がお嫁入りなさる場合には持参金の何割を負担します」と臣下が約束するわけです。だから、かりに王様が人質になって、家来が契約で定められた額の身代金を敵側に渡しても、相手が王を解放してくれなかったとします。

その場合、王様は家来に「もっと身代金を払い」と要求する事はできない。契約事項にはないことは要求できません。

また家来のほうも「これ以上の支払い義務はない」と、さっさと王様を見捨てて、別の王様と契約を結ぶ。それ誰も「あいつは不思議だ」とは言わない。日本人の感覚では、家来は王と言う「人間」に忠実であろうとするわけですが、中世のヨーロッパの場合は「契約」に忠実であることが大切なのです。同時に、部下との契約を守る王様が「名君」であり、契約を守らない王様が「暴君」と呼ばれる。あくまでも評価の基準は、契約を守るが守らないかにある。

シマジ その伝統があるから、欧米のビジネスで契約が何よりも重視されるわけですね。

そのとおりです。契約の話は別の機械にするつもりですが、今でも日本人はビジネスの基本は人間関係だと思っています。何よりもまず、腹を割って仲良くなるのが大切だと思っているのが日本人。

しかし、そんなより方は欧米では通用するわけはない。大事なのは、あくまでも契約を交わし、それをきちんと守ることです。契約と言う概念は、決して近代資本主義経済が誕生してから生まれたものではありません。それよりもずっと前からあったことだと言うことを、ここではぜひ記憶をしておいてください。

日本の武士に「武士道」はなかった、ビジネスの基本は人間関係化、それとも契約か

主従の関係が契約に基づいていると聞くと、おそらく読者は「この当時の王様と家臣はずいぶんドライだったんだなあ」と思うでしょう。

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なぜ日本人は赤穂浪士の話が大好きなのか

日本のように、人間関係で結びついているほうがずっと安心できる思うかもしれません。しかし、それは果たして正しいのか。と言うのは、ヨーロッパの騎士道と日本の武士道を比較した場合、ヨーロッパのほうが実際には王様の仇討ちが行なわれているのです。この点から見ると、人間関係を重視する日本人のほうがずっと主人に冷たい。そういう結論になるのです。

シマジ そんなバカなだって日本の年末の定番と言えば、ベートーベンの「第9」と忠臣蔵ですよ。主君に命をささげるのが武士道精神ではないですか。

そこがそもそもの勘違いです。確かに江戸時代に敵討ちの物語は多い。しかし、その99%は親の敵を討つという話です。武士が主人の仇を討つたと言う話は、たったの2つしかない。1つはあなたの言った忠臣蔵、もう1つは信長の仇を討った秀吉。わずかに2例しかないから、忠臣蔵は今でも美挙と呼ばれるのです。親の仇は討つけども、主人の仇は討たないのが日本人です。01/10/9 81334

日本人のシュジュウ主従関係なんて、そんなものだった。そもそも、戦国時代には「主人の仇」という概念さえありませんでした。戦国大名の末路を御覧なさい。みな哀れなものです。誰一人として主人の仇をとろうとは思わない。中には主人を殺し、敵将に仕官する連中だっている。しかも、それでちっとも恥ずかしいとは思わない。

いや、それどころか形成不利と見れば、家臣が主人の首を切って、相手側に手土産で持っていく。戦国時代には武士道はなかった。武士道ができるのは江戸時代になってからだし、武士道ができても赤穂浪士以外、誰も主人の仇を討とうとはしなかったのです。ところが、その前の戦国時代で唯一、主人の仇を討ったのが豊臣秀吉です。本能寺で主人・信長が明智光秀に討たれたと聞いて、直ちに京都に向かったのは彼だけ。あと野のぶなが戸外の連中は、誰もそんなことをしなかった。だから、当時から「秀吉はえらい奴だ」という話になったのです。

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こんな話があります。信長討たれるの報を聞いた、あるキリシタン大名がバテレンの宣教師のところに相談に行った。「パードレよ、光秀と秀吉のどっちの味方をするべきでしょうか」「あなたのご主人は信長だったのでしょう。主人の仇を討つのが臣下の務めではありませんか」とこたえたとか。ヨーロッパ人なら、たとえキリスト教の宣教師であっても主人が殺されたら、その仇を討つのが当然だと思っていたのに、当時の大名はどうしていいかわからなかったのです。

ヨーロッパ中世では、主従関係は契約に基づいています。その契約の中に「もし王が討たれたら、必ず仇を討つ」という項目があれば、それを実行するのは当たり前のこと。もし、契約を守らなければ、誰も相手にしてくれない。だから、彼らのほうがきちんと仇討ちをしました。たとえ返り討ちに合おうとも、契約を守る。その意味では、契約に基づくヨーロッパの騎士道のほうが確実で、すっきりしているとも言えるのです。日本の家来どものほうが、ずっと頼りにならない。すぐ裏切る。

シマジ 何だか、その話は今の日本のサラリーマン社会にも通じるような気がしますねえ。


中世ヨーロッパ理解の2つのポイント、日本人の想像を絶したヨーロッパの「の「主従関係」

さて、中世のヨーロッパを理解する上で、重要なのは2つのポイントです。1つは、中世の王国には国境も国土も国民もなかったとう点。もう1つは、国王の力とても制限されていたと言う点です。そして、この2つのポイントをつなぐキーワードが「契約」なのです。

まず第1のポイント、つまり国境も国土も存在しなかったと言う話から始めましょう。繰り返しになりますが、当時の主従関係、つまり王様と家臣との関係は人間関係ではなくて、契約に基づきます。そのため、島国生活に慣れた日本人にはちょっと想像もつかないことが起きる事になりました。

その最たる例が、1人の家来が2人の王様に仕えることがありうると言うことです。日本では「武士は二君に仕えず」が常識ですが、ヨーロッパの場合、9世紀のカロリング王朝の時代から、1人の領主が2人の王様に仕えていても不思議ではなくなった。

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久野さん今日は有難うございます、私が感動した小室さんの記事の一部を送らせてください、

参考にしてください、今日の宿題はゆっくりと考えて返事をさせていただきます。

滝田 好治

痛快!憲法学 小室直樹 集英社インターナショナル 平成13107

すべては議会から始まった、

「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(日本国憲法 第41条)

多数決は「民主主義的制度」だと思ったら、大間違い。民主主義と憲法とは関係ない!

さて、これから「いかにして近代デモクラシーは『国家とはリヴァイアサンなり』と考えるにいたったか」について説明していこうと思うわけですが、まず講義の最初にシマジ君第13章 憲法はよみがえるか「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統治の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(日本国憲法第1条)

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家産官僚制 「王様の召使」は、いかにして公僕になったのか

官僚制の研究

なぜ、エリートであったはずの官僚たちが、かくも堕落してしまったのか。

よく疑問を解くカギは、歴史にあります。名著『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』を書いたマックス・ウェーバーは、官僚制の研究においても不朽の業績を残しています。彼は古今東西の官僚制度を徹底的に研究して「官僚とは何か」を明らかにした。そこで彼が強調しているのは、一口に官僚制といってもそこには2種類があるということです。すなわち家産官僚制と、依法官僚制です。

前に述べたことと重なりますが、中世ヨーロッパ王国では国王の権力は非常に限られたものでした。領主たちの既得権益の壁は厚く、王といえども領主たちの土地に税金をかけることはできなかった。ところが時代を経るにしたがって、国王の力が増して、最後には絶対王権にまで行き着いたというわけです。

さて、この絶対王権の時代になって発達したのが官僚制です。それまでの王国では、領主の土地に税金をかけるわけにもいかず、王の収入は直轄地からの上がりだけだったのが、絶対王権の時代になると、国そのものが国王のものになった。

したがって、国中に税金をかけることができるようになったのですが、その税金を集めて、管理するには専門の担当者が必要です。そこで王は有能な人間をスカウトして、彼らを役人にした。そこで官僚制が発達したのです。

シマジ 今も昔も、お上は税金の取立てには熱心だったですねえ。

さて、そこで大切なのは、初期の役人はみな王様の僕であったということです。現代の私たちは、「役人は公僕である」と思っていますが、絶対王朝の官僚はそうではない。官僚とはあくまでも王様に仕える、いわばプライベートな召使だったわけです。

こうした官僚制のことをウェーバーは「家産官僚制」と名付けました。絶対王権の国家とは、結局のところ、国王の所有物です。人民も土地も、すべてが国王の財産、つまり「家産」である。その家産を管理するのが、家産官僚の役割です。

したがって、家産官僚は何もヨーロッパ独自のものではありません。むしろヨーロッパの官僚制の誕生は世界史的に見ると遅いほうで、中国や古代エジプトなどでは紀元前から家産官僚たちがいて、権力者に仕えていたのです。

 

家産官僚の特徴は「公私混同」

さてヨーロッパでは絶対王権の時代に家産官僚が誕生するのですが、時代がたち、その絶対王権が立憲制やデモクラシーに変わってくると、いきおい官僚の性格も変わっていきます。そうして誕生したのが、依法官僚制です。依法官僚制とは読んで字のごとく、法に従って動く官僚と言う意味です。

シマジ じゃ、家産官僚は法律無視ってわけですか。

そもそも絶対王権では、国家の隅から隅まで王様の持ち物であって、王様がすべてを決めることができる。王様が法律であるといっても大げさではない。家産官僚は、その強大な権力をもった国王の名代として働いているのですから、官僚もまた絶大な力を持っている。

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シマジ 相当、威張っていたんでしょうね。

威張るところの 話ではありません。家産官僚たちは、その本質は王様の私的な召使でありながら、外面的には役人という公的な仕事を行っている、いわば矛盾した存在です。その矛盾した性格のゆえに彼らには、公私の区別がない。

その最も分かりやすいのが、税金をめぐる問題です。私たちは税金は公のものであると思っていますが、加算官僚たちにはその感覚がありません。国民から巻き上げた金は国家のもののようでもあり、王様のもののようでもあり、じぶんのもののようでもある。つまり、公の金と自分の金の区別がない。

古代中国の役人はその典型です。中国には「清官三代」、つまり金に執着のない人間でも、地方官となって赴任すれば、その在職中に得た利益で孫子の代まで楽に暮らせるということわざがあった。清官でも、これだけの財産を残せるのであれば、濁官ともなれば恐るべき財産を蓄えることができた。

それというのも中国の歴代王朝においては、地方官は自分に割り当てられただけの上納金を皇帝に納めさえすれば、あとは自分の収入にしてよかった。税金と自分の金の区別がないのです。だから、欲張りな地方官なら人民から取り立てられる だけ取り立てた。

それだけではなく、何かあるたびに口利き料だとかいって、金を巻き上げる。これも役人の裁量一つで決まった。

シマジ ごうつく役人が赴任してきたら災難ですねえ。

しかし、これは何も中国だけの話ではない。どこの国でも家産官僚なら、同じことをやった。家産官僚にとっては「公のものは俺のもの」なのです。

役人は「法律マシーン」たれ

いうまでもないことですが、国家が絶対王権から立憲君主制、さらにはデモクラシーとなっていけば、官僚が家産官僚のメンタルティを残していたのでは困ります。官僚は国王の召使ではなく、「公僕」にならなければならない。そこで生まれたのが先ほども述べた、依法官僚制においては、官僚は法に従って行動する。権力を笠に着て勝手な駆動をしてはいけないし、ましてや税金を自分の懐に入れることなど絶対にあってはならない。言い換えれば、近代の官僚は「法律の実行マシーン」である。

シマジ 法律の実行マシーンというと、血も涙もないような。

と感じてしまうのは日本人の感覚です。考えて御覧なさい。「この法律は俺の権限で変更する」とか「この法律は俺の意見と違うから無視する」などという官僚がいたら、人民が迷惑するではありませんか。官僚が法律というプログラムに従うロボットでなければ、大変なことになるのです。

シマジ そりゃそうだ。

といっても、ロボットだから誰でもいいというわけではない。ことに現代の社会は複雑多岐にわたっているから、官僚が守るべき法律はたくさんある。それらをきちんとマスターしていなければ困るので、どこの国でも能力ある人を官僚に仕様とするわけです。さて、そこで現代日本を見た場合、果たして日本の官僚は家産官僚が、依法官僚か。

シマジ うーん、どう考えても家産官僚ですね。だって自分のポッポに税金を入れちゃうやつがたくさんいるですものね。

そのくらいなら、まだまだ罪は軽い。日本の官僚の場合、もっともっと悪質です。家産官僚の特徴は「公のものは俺のもの」で公私の区別がないことにあるわけですが、日本の高級官僚たちはまさにその典型例。何しろ、彼らは日本経済全体が所有物であるかのごとく錯覚している。

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官僚の害を撲滅しない限り、この不況は終わらない

シジマ 日本経済は俺のもの!そこまで考えている ですか、高級官僚の皆さんは。

日本経済を支配したエリート官僚

そのいい例が、ついこの間まで行われていた「護送船団方式」なる銀行行政です。日本の大蔵省は「一行たりとも銀行はつぶさない」と言う美名の下、ことあるたびに銀行の経営に口を出してきた。預金の利子はもちろんのこと、お客に配るカレンダーのサイズや絵柄まで大蔵省銀行局にお伺いを立てなければ銀行は何も決められない。

つまり銀行の経営権を実質的に握っているのは、株主でもなければ経営者でもない。大蔵省の役人が銀行を事実上「所有」していたのです。もちろん「銀行のカレンダーは、かくあるべし」なんて国会で決まったことでもなければ、大蔵大臣の言ったことでもない。それらはすべて、大蔵用の役人の勝手な裁量で行われている。そこには法律的な根拠はない。しかもその行政指導は何も文面で行われると限ったわけではない。銀行の優秀なMOFモフ担ともなれば、お役人の顔色を見、声を聞いただけで「あ、これは大丈夫」「これはよくない」とわかったという。これのどこが依法官僚といえるでしょう。これは何も大蔵官僚に限った話ではありません。あらゆる官庁の役人は、日本経済は俺のものだと思って、今なお各業界を指導・監督しています。日本の官僚はあたかも近代官僚、つまり依法官僚のふりをしているけれども、その実はぜんぜん違う。まだ家産官僚の域を脱していない。いや、家産官僚そのものなのです。

シマジ つまり先祖返りしたというわけか。

そんな官僚たちが司法・行政・立法の三権を独占し、さらには日本経済までを私物化しているのですから、はなからうまくいくはずがない。平成不況がはじまって、すげに10年ですが、かくも長き不況から脱出できないのも当然すぎるほど当然のこと。この官僚の害を除かない限り、日本の経済は絶対によくならない。そう断言してもいいでしょう。

役人の害をどう防ぐか

シジマ それじゃあ、先生、この官僚たちの態度を改めさせ、依法官僚とやらにすれば日本経済はよくなりますか。

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君は「官僚たちの心を入れ替えさせる」と簡単におっしゃいますが、それがどんなに大変なことであるか。依法官僚にせよ、家産官僚にせよ、官僚というものは放っておけば、自分の権力をどんどん肥大化させ、腐敗していくものと相場が決まっています。これは古今東西、どんな官僚組織であっても例外ではない。したがって、官僚とは本来、悪であると考えたほうが考えたほうがいい。官僚を信じてはいけないのです。

01/10/7 16355

官僚の害は必ず起こると考えて、その対策を立てるしか方法はありません。では、具体的にはどうすればいいか・・その答えを知る上で最も参考になるのが、中国の歴史です。

中国の官僚制度の歴史は、世界で最も長い。何しろ紀元前の戦国時代には整備・体系化された官僚制がすでに誕生しており、それが1912年に清国が滅びるまで2000年以上も続いた。

中国のように巨大な帝国を統治するには、官僚の存在が絶対に欠かせないから、それは当然のことではあります。しかし、これは別の側面から考えてみると、到底「当然のこと」などと決め付ければすむ問題ではない。というのも、それだけ官僚組織が長く続けば、弊害も大きくなって当然だからです。それなのに、中国の官僚制はなぜあれだけ続いたのか。そのことを考えてみる必要があります。

もちろん、そこには王朝の交代がしょっちゅう起こったという事実はあります。王朝が交替すれば、当然のことながら、官僚も一新する。確かに、これは大きな要素です。しかし、そうはいっても、たいていの王朝はけっして100年そこらでは変わらない。中国の歴代王朝は300年近く続いたものも珍しくありません。

 

日本なんて近代的官僚制度ができて1世紀ちょっとでこれだけ腐敗してなぜ中国では曲がりなりにも1つの王朝が3世紀も維持できたのか。

シマジ いわれてみれば不思議ですねえ。

実は、それこそが官僚の害を抑えるためのヒントなのです。

なぜ中華帝国は2000年も続いたか

では、中国の王朝は巨大な官慮組織をもちながら、どうして長続きしたのか。その最大の理由は、つねに官僚グループに対抗する勢力があったからです。その対抗勢力がつねに官僚組織を監視し、それが腐敗、堕落してくると糾弾した。だからこそ、官僚組織が制度疲労を起こさず、長持ちした。

先ほども述べたように、中国における官僚制度の起源は2000年以上前に遡るのですが、官僚制初期のライバルは、貴族たちでした。何しろ、中国の皇帝といえば、結局のところ実力でのし上がってきた人物ですから、貴族から見れば、「どこの馬の骨かわからない」ということになる。

だから皇帝にとっては貴族の存在がわずらわしい。そこで貴族以外から人材を登用して、自分の思うがままに使いたいということから官僚制は始まった。すなわち、官僚とは元々、皇帝が貴族を退治するための武器であったというわけです。もちろん貴族の方だって、そうした皇帝の意図はお見通しです。そこで貴族は、皇帝のスタッフである官僚たちのあら探しをする。また官僚にしても、血筋をひけらかす貴族に対しては敵愾心を燃やしていたというわけです。

毒をもって毒を制した、中国皇帝の知恵

ところが、その貴族もヨーロッパと同じで、時代が進むにつれて勢力が衰えてくる。紀元10世紀の初め、唐王朝が滅びて五代の戦乱が起きると、貴族はほとんど消えてしまいます。そして宋の時代になると貴族は完全に消えた。

260、官僚組織の暴走を防ぐ特効薬はあるか

シマジ となれば、今度は官僚の天下になる。

ところが、そうは問屋が卸さない。というのも、貴族がいなくても官僚にはまだまだライバルがいた。それは宦官です中国史に多少なりとも興味のある人なら、誰でもご承知のとおり、中国では古来から「宦官の害」があった。宦官というのは、本当の意味での皇帝の皇帝のプライベートな召使なのですが、彼ら宦官は皇帝の近くに侍っているのをいいことに政治にまで口を出し、それによって政変は数知れない。それだけ宦官が問題ならば、さっさと廃止してしまえばいいのにと思ってしまうわけですが、実は宦官がいるおかげで、官僚の専横が防げるという効用もある。

宦官が皇帝の私的な召使とすれば、官僚は皇帝の公的部門に仕える召使。したがって、両者の中の悪さたるや、恐るべきものがあった。いずれの側も、何とかして相手を倒そうと虎視眈々。

シマジ なるほど「人間は緊張感があると堕落しない」というわけですね。なんだか耳の痛い話だなあ。

「最高の官僚は最悪の政治家である」

しかし、貴族や宦官がいたとしても、それでもなお官僚たちを抑えられるとは限らない。そこでさらに中国の歴代王朝が考えたのが、御史台と言う組織です。この御史台とは、要するに官僚の汚職を捜査する機関です。といっても、御史台の力たるや今日の警察や検察の比にあらず。

なぜなら、この御史台の長官である御史大夫に告発されると、自動的に有罪だと推定される。つまり、「疑わしきは罰する」という原則が適用される。したがって、この御史大夫に告発されて助かろうと思えば、被告の側が自分の無罪を完璧に立証する必要があるわけですが、昔の中国においては、そこまでやった人はまずいません。というのも、疑いをもたれた時点で官僚ははいさぎよく死ぬものと決まっていた。

そこで悪あがきするのは、高級官僚のプライドが許さないというわけです。たとえば御史大夫の告発を受けた官僚は、皇帝から毒入りの菓子をいただく。それを黙って食べて死ぬ。言い訳したり、妻子ともども夜逃げをしたりしない。

シマジ 死刑率100%!史上最も怖い警察ですね。

今の人間から見れば、なんと言う恐怖政治かと思ってしまうでしょうが、そのくらい強大な権力で牽制していないと、官僚組織はかぎりなく肥大し腐敗していく。そうなると、もはや皇帝でさえどうにもならないというわけです。この講義で私は何度も「国家権力はリヴァイアサンである」と述べましたが、高級官僚とはそのリヴァイアサンをも食い殺してしまう、恐るべき怪獣、いや寄生虫です。この寄生虫がはびこれば、皇帝でさえ権力を失いかねない。だからこそ、中国の皇帝たちは知恵の限りを絞って、御史台と言う制度を作った。日本のマスコミは、官僚の不祥事があるたびに「自浄努力を求める」などといっていますが、中国の皇帝たちが聞いたら、鼻で笑ったことでしょ。

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官僚に自浄能力を求めるなんて、ないものねだりもはなはだしい。そんなことは夢物語だというわけです。実際、これだけいろいろ知恵を絞っても、それでも中国の歴代王朝はすべて滅んだ。その根底にはいずれも官僚の害があったと考えて間違いない。そのくらいなら官僚の害は恐ろしいのです。

シマジ だったら、官僚制なんて止めましょう。そうすりゃ、話は簡単ですよ。

いくらなんでも、それは暴論というものだ。いにしえのアテネのように、国家の規模が極端に小さければ役人を国民から抽選で選ぶこともできるだろうが、近代国家を官僚抜きで運営をすることなど最初から不可能な話です。近代官僚制は近代国家とともに生まれたという事実を忘れてはいけません。となると、残された道は何か。

いかにエリート教育を受けたとはいえ、しょせん官僚は優秀な「マシーン」にすぎません。偏差値ロボットです。彼らは過去の前例や既存の法律はよく記憶しているかもしれないが、今までに経験したことのない事態に遭遇したときには、何の役にも立たない。

学校教育は知識を教えてくれるけれども、発想力や創造力までは与えてくれない。マックス・ウェーバーは「最良の官僚は最悪の政治家である」と述べています。どれだけ優秀な官僚であっても、彼らには政治家たる資格、指導者たる資質はない。官僚に政治を行わせるのは、サルに小説を書かせるよりもむずかしい。政治家たちが上手にコントロールして、初めて官僚の力を活かすことができる。その好例が田中角栄です。

もはや日本の運命は決まった。平成13107

 

では、よい政治家を作るにはどうしたいいのか。どうやったら、真のリーダーシップが生まれてくるのか。その答えはいうまでもありません。「よい政治家を作るのはよい国民だ」ということです。

シマジ 結局、そこに戻ってくるわけですか。

だが、ざんねんながらそれひょういではない。何しろ、これまで見てきたように、戦後の日本人は自らデモクラシーを放棄し、憲法を殺してしまったのです。田中角栄を暗黒裁判にかけたのも、官僚の跳梁跋扈を許したのも結局は日本人自身ではないですか。

その結果、日本はもはや身動きが取れないところまできている。そのことは読者自身が何よりよくお分かりでしょう。デモクラシーを殺した「毒」は、今やありとあらゆるところに回っています。家庭を見れば、子が親を殺し、親が子を殺すのが日常茶飯事になった。学校教育においては、すでに学級崩壊は頻発し、いじめによる殺人が横行しているではありませんか。外を歩けば、いつ刃物を持った少年に襲われるかわからない。これもまた振り返って見れば、すべて日本人自身がデモクラシーを放棄したことにつながってくるとは思いませんか。

今の日本はパイロットなき飛行機、船長にいない巨船のごとき状態です。このまま行けば、かのタイタニックと同じ運命にたどることになるのは誰の目にも明らかです。果たして日本という巨船が沈没するのが何年後かはわからない。

10/8/2001 02/3/29 101437

しかし、そのときは刻一刻と近づいている。残念ながら、今の日本を診断する限り、一つもいい材料は見つからない。それが私の偽らざる心境です。

シジマいったい、どうしてここまで悪くなったんでしょう。

262頁、02/3/29 1020

「日本人に憲法を作る資格は無い」とGHQはかんがえた 

そのことを考えるとき、どうしても逆手と売れないのが「戦後デモクラシーの構造的欠陥」と言う大問題です。もっとはっきり言うならば、日本国憲法の構造的欠陥なのです。この事実に向き合わない限り、問題の本質は見えてこない。私はそう思います。

日本国憲法が民主主義を殺した!

昭和22年(一九四七)年53日日本国憲法は施行されました。この日本国憲法が当時、日本を占領していたGHQの手によってその原案が作られたと言う事実は、今さら述べるまでも無いでしょう。

当時のアメリカ人たちは、「日本人には民主主義憲法を作るだけの能力は無い」と判断して新憲法の条文をすべて作り、それをそのまま交付するよう迫りました。これに対して日本の政府や議会ではさまざまな抵抗をしましたが、結局のところ、ほぼ大筋において合資して日本国憲法が制定・公布されたというわけです。

こうした経緯で作られた憲法ですから、その正当性、合法性に対しては賛否両論があって、いまだに決着が付いていない。

駐留軍は「天皇教こそが民主主義の敵」と考えた

「占領下の日本には真の意味での主権は無かったのだから、そこで公布された憲法には正統性が無い」と言う意見を述べる人もあれば、また「確かに制定のプロセスはもんだが、当時の日本人はそれを歓迎したし、現にそれが憲法として半世紀続いたのだから、問題はない」と言う弁護論もある。

この問題について述べていけば、それだけでも分厚い本が何冊も作れるくらいです。

しかし、今はこのことについてあえて述べません。それよりも今、私が問題にしたいのは、こうして作られた新憲法が戦後のデモクラシーにどのような影響を与えたかと言うことです。

そこで結論を先に言うならば、戦後の日本デモクラシーが失われることになった真の原因は、実はこの憲法そのものにあったと言うことです。

26302/3/29 1110

シマジ、途方も無いことをおっしゃいますね。だって、日本国憲法は誰が見ても、民主主義の憲法ですよ。民主主義の憲法が民主主義を殺すなんて、そんな馬鹿な。

ましてや、民主主義の本場であるアメリカ人が作った憲法なのだから、デモクラシーの精神に間違いがあるはずが無い。そう君は言いたいのでしょう。

ところが、そこに実は大きな誤解がある。日本国憲法の本当の問題は、アメリカ人がこの憲法の原案を作ったところにあるのです。といっても、それは「押し付けた憲法だから駄目だ」と言った簡単な話ではない。もっともっと根の深いものなのです。

アメリカ人はデモクラシーも資本主義も知らない

先ほども述べたとおり、日本国憲法の原案を作ったのは当時、日本を占領していたGHQのスタッフでした。マッカーサー元帥の命を受け、GHQ民生局のケーディス陸軍大佐を中心に憲法法案の制定作業が行われることになったのです。

このような作業はいわば突貫工事のようなものであったし、またスタッフも憲法の専門家とはいえない。だから批判しようと思えばいくらでも出来るけれども、今はそれには触れません。

ただ全体としてみれば、彼らは自分たちの作った憲法に満足していたようです。のちにいろいろな研究者が彼らにインタビューを行っていますが、おおむね誰もが「恥ずかしくない憲法を作った」と答えています。

彼等制定スタッフは、無邪気とも言えるほどの「善意」を抱いていた。だが、ダンテ曰く「地獄への道は全で舗装されている」。この「善意」こそが、実は危ない。と言うのは、およそ憲法を作るのにアメリカ人ぐらい、それにふさわしくない人たちはいないからです。アメリカ人ぐらい、民主主義がわかっていない国民もいない。

シマジ、何ですって!アメリカは民主主義の本場じゃないですか。

確かに、それは紛れも無い事実です。ロックの社会契約説を実現し、世界で最初の人権宣言を出したのはアメリカ人だし、日本のみならず世界中がアメリカこそ民主主義のお手本だと考えている。

またアメリカ人自身も、民主主義と資本主義を世界中に広めたがっている。しかし、アメリカぐらい民主主義や資本主義研究の遅れている国は無い。これもまた事実です。

なぜならアメリカでは民主主義も資本主義も、あまりにも当然のことであって、それは空気みたいなもの。そんなありふれたものをわざわざ研究してみようと言う気にはなれなかったのは無理も無い。

実際、アメリカ民主主義に関する本で、名著と言われるものは総てアメリカ人以外の人間が書いています。古典では、フランス人のトックヴィルの書いた「アメリカのデモクラシー」がもっとも有名ですが、この地にもイギリス人が優れたアメリカ研究を残していいる。資本主義の研究にしても同じで、資本主義後進国ドイツの学者が書いたものが基礎になっています。

シマジ、そういえばヴェーバーもマルクスもドイツ人ですね。

アメリカ民主主義は予定説である

日本国憲法は民主主義や資本主義が空気のように自然に機能しているアメリカに生まれ、育った連中が書いたものである。この事実は決して見過ごすわけには行きません。彼等アメリカ人は、さながら野の花のごとく、民主主義はどこにでも咲くものだと信じて疑わない。

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民主主義で無い国をみると「どうして民主主義にしないのだろう」と無邪気にも思ってしまう。民主主義は優曇華の花のようなものであるとは思わないのです。

もちろん、そのアメリカにしても民主主義が本当に定着するまでには時間がかかった。合衆国憲法の条文のどこにもデモクラシーと言う言葉が書かれていないことを見ても分かるように、最初からアメリカにもデモクラシーがあったわけではない。

彼らにしても、デモクラシーは戦い取ったものだった。それは事実です。

しかし、アメリカ人の心情の奥の奥を探っていくと、彼らは言うなれば「デモクラシー予定説」つまり、どれだけ困難が待ち受けていても、いずれはデモクラシーは必ず実現する。世界中がやがてはデモクラシーの覆われると信じている。だからこそ、今でもアメリカはデモクラシーの普及に熱心なのです。

シマジ、デモクラシー予定説!アメリカ人にとって、デモクラシーは信仰なのですか。

まさにアメリカはデモクラシー教、資本主義教の総本山です。彼らはカルヴァンが予定説を信じたごとく、資本主義や民主主義の勝利を信じて疑わない。

でも、本当にそんなに簡単に民主主義が誕生するわけではない。民主主義の花が咲くには大変な苦労が必要です。

そのことは伊藤博文の苦心を見れば、すぐに分かります。伊藤は憲法の本場であるヨーロッパを見て回り、日本が憲法を持つのは並大抵のことではないと気付いた。

蒸気機関車や伝統を輸入するのと同じように、憲法を輸入することは出来ないことを知った。そこで、彼はいろいろ考えた挙句に天皇教を導入することにしたわけでです。

ところが民主主義が当然と思っているアメリカ人には、その日本人の苦労が全然分からない。民主主義なんて簡単だと思っていたわけです。

シマジ、タイガー・ウッズから見れば、我々素人ゴルファーがなぜシングルになれないのかが分からないと同じですね。

空を自在に飛び回るワシから見れば、ニワトリが空を飛べないのが不思議に思えてならない。しかし、ニワトリにはニワトリの事情があるのです。

天皇教は崩壊した

さて、アメリカ人は日本を占領するにあたって、当然のことながら日本の近代史を検討した。すると戦前の日本でも大正時代には民主主義らしきもの生まれていたことを知った。確かに日本民主主義は発進しかかっていた。そこまでは分かった。

しかし、彼らが誤解したのは、その民主主義が完全に離陸できなかった理由です。

彼らは、その理由を天皇に求めました。つまり、天皇が現人神であるなどと言う、ばかげた信仰があるから、日本の民主主義は成熟しなかったのだと考えた。

この要素さえ除去すれば、あとは放って置いても民主主義になるだろうと単純にも思ったのです。そこで彼らは伊藤がせっかく「憲法の機軸」として導入した天皇教を徹底的に取り除くことにしたのです。

すなわち、戦前の日本の立憲君主国家と言う枠組みを完全に変え、天皇を「国民統合の市象徴」にしてしまった。その流れの中、19461月、昭和天皇は「人間宣言」をなさいます。これによって、伊藤の作った天皇教は完全に崩壊した。

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もちろん、こうしたGHQの「誤解」に対して抵抗した人たちは少なくなかった。当時の憲法学者や政治家の多くは、明治憲法の欠陥を修正するだけで充分だという意見でした。実際、時の幣原内閣が設置した憲法問題調査会でも、軍部の独走などを許すことになった規定を改め、国民の権利を保障し、議会の力を強めていけば、それで充分、日本は民主主義になれるはずだという線であったと言われていますが、これはまことに現実的な意見だったと思います。

しかし、こうした日本側の意見に対して、GHQは当然ながら不満をもった。そこで急遽、GHQ側で憲法案を作ることが決まり、その憲法案が今日の憲法の土台になったと言うわけです。

「平等」の誤解はここに始まる

され、憲法から「天皇教」の要素が取り除かれたことによって、戦後の日本は果たしてアメリカ人の言う「真の民主主義国」になれたのか。その結果は、あらためて言うでもないでしょう。今の日本の置かれた現実が何よりも雄弁にそれを証明しています。

そこでもう一度思い出していただきたいのですが、明治憲法作ったときとき伊藤博文は、憲法には「機軸」が必要であると考えた。

つまり近代的な憲法が作動するには、まず平等と言う概念成立しなければならない。しかし、その平等と言う概念はけって簡単に与えられるものではないから、そこで「神の前での平等に代わるものとして、伊藤は「天皇の前の平等」を日本に定着させようとした。

そのためにこそ、天皇は現人神でなければならないと考えたわけです。

ところが戦後の憲法では、「天皇の前の平等」と言う考えは取り除かれ、いきなり「平等」だけが与えられた。このことによって、戦後日本における平等は、非常にいびつなものになってしまいました。

つまり、それは「機会の平等」ならぬ「結果の平等」と言う誤解です。

それが最も悪い形で現れているのが教育現場です。今の日本の教育は「みんな同じでなければならない」と言う、およそ民主主義ではまったく考えられないような思想が支配しています。

シマジ、いまや運動会のかけっこでは、みんな手をつないでゴールするといいますものね。

キリスト教の全知全能の神でさえ、人間をまったく同じには作らなかった。

そんなこおとはキリスト教圏の人々には自明の心理です。デモクラシーにおける平等とは、結局のところ「身分からの平等」に他なりません。法の前には、身分は関係ない。誰もが同じように富を求めることが出来る。

それを平等と言う言葉に置き換えただけに過ぎないのに、その平等と言う言葉が一人歩きして、「誰も彼もが同じにならなければいけない」と言う「結果の平等」にまで拡大解釈された。しかし、それは単なる悪平等です。

真の自由主義とは何か

同じことは「自由」についても言えます。戦後の日本で「自由」は、「何をやっても言い」と言うことだと誤解された。最近では「人を殺す自由」を主張する子供さえ現れています。しかし、デモクラシーにおける自由とは、元来、「権力の制限」を意味しました。

日本においては「自由主義」と言う言葉は実にいいかげんに使われていますが、これはもともと専制君主や絶対君主の権力を制限することから始まったものです。この自由主義を守るための砦が、議会であった。

その議会からやがて民主主義が生まれたことは、本書の読者ならすでにご承知のことでしょう。

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つまり、デモクラシーのどこをどうひっくり返しても、そこからは「殺人の自由」など出てくるはずがないのです。ところが日本では「自由」と「放埓」とは同義語になっている。これも恐るべき誤解です。

自由にしても、平等にしても、それは与えられるものではありません。現に欧米人たちは、自ら平等や自由を勝ち取った。自由も平等も、その前提になっているのは権力との戦いです。

そのプロセスを抜きにして、いきなり自由や平等を与えるとどのような結果になるか。図らずもそれを証明しているのが今の日本なのです。権力と戦うことなく人権を手に入れたものだから、戦後の日本人は権力を監視することも忘れてしまった。

その結果が、かんりょうのどくさいであることが言うまでもありませんが、民主主義とは国家権力との戦いなのだと言うこことが忘れられると、自由も平等もたちまちにして変質してしまうのです。

こうした果てしない誤解が生まれたのも、元を質せば、アメリカ人たちが「善意」からアメリカ流の民主主義憲法を戦後の日本に与えてしまったからに他ならないのです。

「社会の病気」アノミー

天皇と言う「機軸」が失われ、憲法がアメリカ人から与えられた結果、日本に起きたのは「急性アノミー」と称すべき状況です。アノミーとは言うなれば、「社会の病気」です。アノミーが起これば、身体にも心にも異常がなくても、その人間は異常な行動を取るようになる。

まったく健全であるはずの人が信じられないような事をする。このアノミーを発見したのは、社会学の元祖と言われているデュルケムと言うフランスの学者です。彼は自殺の研究をしている過程で、この大発見をしました。

今の日本のように経済が不況になっているときに自殺が増えるのは、誰でもすぐに想像できることです。ところがデュルケムは逆に経済が活況を呈して、生活水準が急上昇したときにも自殺が起こることを発見した。この思いがけない発見を、デュルケムはこう説明しています。

つまり、生活が苦しいなどと言った外面的なことから人間は自殺するのではない。「連帯」を失ったときに自殺をすると言うのです。急に豊かになって生活スタイルが急に変わってしまうと、それまで付き合っていた友人たちとの連帯はなくなります。

前と同じような友達づきあいが出来なくなる。しかし、かといって、その人は新しい友人をもてるかと言えば、そうではない。以前から豊かだった人たちからは「成り上がり者め」とさげすまれるので、そのサークルにも入っていけない。

このため、この人は連帯をどこにも見出せず、ついに自殺を選んでしまうと言うわけです。

ジマジ、貧乏も苦しいけれど、貧乏人が金持ちになると、もっと不幸になる。やっぱり庶民は今のままグータラ働いているほうがいいと言うわけですね。

君みたいな考えを、我田引水と言うんだ。さて、デュルケムはこうした現象をアノミーと名付けました。アノミーは、自分の居場所を見失ったときに起きます。心理学の用語で言い換えるならば、「アイデンティティの喪失によって引き起こされる状況なのですが、これは心の病気ではありません。原因は心でなく、社会にあると考えます。

他人との連帯を失い、自分が何者であるかが分からなくなったとき、人は絶望し、孤独感を味わいます。その孤独感から逃げるためだったら、死もいとわないと言うのです。

267頁、02/3/29 1924

権威がなくなると、秩序は消える

 

 

 

「最高の官僚は最悪の政治家である」


痛快!憲法学 小室直樹 集英社インターナショナル 平成1413

12章「言論の自由は議会から生まれた」

236頁「議会が独裁者を作る」では、たとえ憲法に欠陥があったとしても、それが致命的な方向に働くのは、どういう場合か。

そのカギを握るのが、人民の代表たる議会なのです。議会こそが、法の欠陥、制度の欠陥が露呈することを防ぎ、権力の暴走を防ぐ最大の力である。そのことをデモクラシーの歴史は教えています。

ところが、その議会が自分の任務を放棄してしまったら、どうなるか。憲法や制度の中に潜んでいた欠陥や矛盾は、直ちに現れて自由に羽ばたき始めるでしょう。そうなったら、もはやとめる者はどこにも居ない。リヴァイアサンは解き放たれたのです。

237、「近代憲法の最良の部分を集めて作った」と言われるワイマール憲法は、なぜ死んだのか。
ワイマール憲法を殺したのはヒトラーではありません。

あの全権委任法を作った議会こそが、憲法を殺し、ワイマール共和国を殺した下手人です。彼らが手を貸さなければ、たとえヒトラーであろうともドイツの独裁者にはなり得なかった。

議会が自分の任務を放棄すれば、その国のデモクラシーの運命は決まるのです。これに対して、議会がつねに権力を牽制し、その行動を監視していればデモクラシーは守られる。その好例がイギリスやアメリカです。

イギリスやアメリカが、長年にわたって民主主義を守ってこられたのは、歴代の権力者が善人だったからではありません。議会がそれこそ鵜の目鷹の目で、権力者が法や制度の欠陥を悪用していないか監視してきたからです。

ところが戦前日本の場合は、どうであったか。昭和15年、帝国議会は自ら言論の自由を封殺した。そして、軍部を批判した斎藤隆夫除名処分にしてしまった。議会は任務を放棄してしまったのです。

日本の運命を決定したのは、憲法でもなければ、制度でもありません。ドイツと同じように議会が自殺してしまったことこそ、日本にとって致命的なことであったのです。


シマジ でも、あの時代の日本で議会が抵抗したところで、どうせ日本の運命は決まっていたようなものでしょう。

いや、そうとも限らない。議会が戦えば、軍部の横暴を抑えることは充分出来た。

シマジ ホントですか!

「越境将軍」の敗北、そこで斎藤隆夫を除名したときの日本を振り返って見ことにしましょう。陸軍と、そのお先棒を担ぐ内閣があくまでも斎藤の除名を求めてきたとき、もし心ある議員が議会の多数派を占めたいたとします。

その人たちがあくまでも斎藤を守り抜く覚悟であれば、議会政治の常道として、議員に不当な圧力をかけた内閣に対する不信任案を出す。そして可決する。すると、おそらく内閣のほうだって後には引けないから、衆議院を解散して総選挙になったはずです。この総選挙で、議員たちが徹底的に軍の横暴を非難して選挙運動をやったとする。その結果、斎藤をはじめとする批判派の議員たちが当選し、議場に戻ってきたらどうなるか。

これすなわち国民が斎藤を支持し、郡の横暴に反対していることの証明に他ならない。
こうなれば、軍も内閣も議会の意思を尊重せざるを得なくなる。

シマジ しかし、それでも軍が懲りなかったら、どうしますか。

そのときは何度でも内閣不信任案を出し、何度でも総選挙をやればいい。そして民意がどちらにあるかを見せ付けるのです。
およそ憲法に歴史において、これに逆らえた権力者は降りません。

シマジ それは先生がその思っているだけで、実際にそうなったとは限りませんよ。

君もよほど僕を疑っていると見えるが、これには実例がある。斎藤隆夫の反軍演説を遡ること3年前の昭和12年、林セン十郎なる陸軍大将が総理大臣になったことがあります。林首相は昭和6年に満州事変を関東軍が起こしたときの挑戦軍司令官だったのですが、このとき、満州で事変が起きたことをしるや「助太刀で御座る」と言って、勝手に朝鮮軍を動かしたので「越境将軍」と言うあだ名がついた。

238、そんな男が首相に任命されたのだから、陸軍べったりの政策をやろうとしたのはいうまでもない。もちろん、これに対して議会は抵抗したのですが、何を思ったか、この林首相はいきなり議会を解散してしまった。彼にとっては生意気な議員どもを懲らしめてやるつもりだったかもしれませんがそれは大失敗だった。と言うのも総選挙やっても、議員たちの顔ぶれはまったく変わらなかった。「議員たちを懲らしめる」と言う林首相の思惑は見事に外れたわけです。この結果、とうとう在職わずか4ヶ月で林は総辞職を余儀なくされた。

シマジ バカな大将ですな。

選挙を甘く見た付けです。しかし、この前例はひじょうに重要です。何しろ、軍が送り込んだ首相でさえ、選挙結果には勝てなかった。いくら首相がやる気になっても、議会の賛成を得られなければ法律一通すことも出来ないのですから、これは当然のことです。

何度も繰り返すように憲法とは慣習であり、議会政治もまた前例の積み重ねが、ものを言う。
この林内閣の前例があるのですから、これを利用しないてはありません。


シマジ 「選挙するぞ」と脅かせばよかった。

今も昔も選挙は蓋をあけて見なければ分からない。だから、軍部も選挙だけは怖かったはずです。
なにしろ、つい
3年前にそれで軍部出身の総理が辞職したばかりですからね。

「帝国軍人すら恐れた「天下の宝刀」

しかし、さらに深く考えていけば、議会が軍の独走を防ぐ、もっと簡単な方法があることに気付くはずです。それは予算案を否決することです。

いかに天皇直属の軍隊とえども、その予算は議会の承認を必要とする。軍がどれだけ戦争をしたくても、金がなければ兵1人送り出すことも、大砲の1発も打つことも出来ないのですから、これこそが軍を抑える急所です。実際、明治時代には議会と政府は、しょっちゅう軍事予算の問題で対立していました。
日清戦争の直前、時の政府は清国との戦争の為に新しい軍艦を作ろうとして、予算案を提出したのですが、
それを議会が否決したものだから大問題になった。

このときは、官吏の給与がカット したり、明治天皇から御内ド金つまりポケット・マネーを頂くことで何とか切り抜けたのですが、藩閥政府でさえも議会が予算を否決したら、それをひっくり返ることは出来なかった。

実は、このことを最もよく知っていたのは軍部のほうだった。予算案を作る実務は今も昔も大蔵省(現・財務省)の主計局が担当しているのですが、あれだけ威張っていた軍人でさえ、その主計局の役人に対して徹底的に おべっかを使った。なにしろ、彼ら主計局の判定次第で、軍事予算は多くもなれば少なくもなる。だから、主計局の役人に対する軍部の接待たるや、戦後の銀行が大蔵省銀行局のキャリアを接待したのとは比較にならないほどだった。


シマジ 官官接待の元祖は軍部だった!

1/3/2002 10:26:37 AM

239(予算決定権ヨーロッパでは軍事予算を可決した議員もまた戦争責任があると考えるのが普通である。第一次大戦の後、ドイツでは戦時予算に賛成した議員たちは非難の的になった。第一次大戦後のドイツで社会民主党が人気を失ったのも、そのためだった。戦後の日本で、そうした議論を聞いたためしがないのは、どういうことだろう。)

(伝家の宝刀ところが恐ろしいことに現代日本の官僚たちは「予算編成権は内閣にある」として、財務省の作った予算を議会が否決、修正するのは越権行為であると考えているのだと言う「日本経済新聞」2001年月12日論説記事)。この独善・傲慢は、戦前軍部のそれに匹敵するではないか。

シマジさすが、戦前の日本人はスケールが違う。ノーパンシャブシャブなんて、問題じゃない。

何を感心しているのかね。軍用列車が止まれば、その路線を走っているあらゆる列車も動かなくなる。それでもかまわないから、大蔵省の役人には徹底的に接待したと言うわけです。しかし、その大蔵省のエリートが作った予算案を可決するのは誰か。いうまでもなく議会です。

議会が予算案をどんどん否定するなり、あるいは軍事予算を削っていけば、戦争継続も出来ないし、軍拡も出来ない。軍にとっては議会が持っている予算決定権こそが本当の恐怖だったはずです。そもそも議会政治の歴史において、議会は国王の書ける税金を承認するために作られた。
予算の承認こそが議会の特権、伝家の宝刀です。権力者の財布を制したからこそ、議会は力を持つに至った。
ところが現実には昭和の議会は、この伝家の宝刀を一度も抜かなかった。つまり、
この点においても戦前の議会は「自殺」していたと言えるでしょう。

国権の最高機関 シマジ しかし、議会と言うのは大きな力があるんですねえ。
知らなかったなあ。

そんなことを言っているから、日本人はデモクラシーが分かっていないと言われるのです。皆さんもご承知のとおり、国家権力は司法、行政、立法の3つに分けることが出来ますが、その中で最も力があるのは立法府、すなわち議会です。だからこそ、日本国憲法第41条に「国会は、国権の最高機関」であると定められている。さらに言えば、アメリカ合衆国憲法においても、第1条は連邦議会の規定であり、第2条が大統領の規定です。

皆さんは「アメリカの最高権力は大統領にあり」と思っているかもしれませんが、条文の順番を見ても分かるとおり、それは大きな誤解なのです。何しろアメリカの大統領は、日本の首相と違って自分で法律案を議会に提出することすら許されていない。大統領が法律を作りたければ、教書と言う形で議員に対して「どうか、こんな法律を作ってください」とお願いするしかない。

大統領とも言えでも、議会を自由にすることは出来ないのです。
これに対して、議会のほうは大統領の行動をあれやこれやと好き勝手に批判し、制限することが出来るのですから、やはり議会のほうが
1段上にある。

シマジ その大きな力を振るえば、戦前の日本は戦争をやらずに済んだ。

いや、やはり無理だった。あの時点で議会が抵抗したとしても、軍部に対して勝ち目はなかったでしょう。


シマジ 何ですって!さっきと話が違うじゃありませんか。感心して損した。

いや、君は肝心なことを忘れているよ。

240、そこで考えていただきたいのは、なぜ、それほどまでに議会は力を持っているのかと言うことです。すなわち、議会の力の源泉はどこにあるか。その答えは民意にある。つまり、議会に集まる議員たちの後ろには、彼に1つ票を投じた大衆が控えている。こり絵こそが議会の力の正体です。

シマジでも民意が大切と言うだったら、大統領だって選挙で選れてますよ。ヒトラーだって選挙に通ったから首相になれた んでしょ。

しかし、大統領なりヒトラーなりが背負っている民意はあくまでも民意の一部でしかない。一口に民意と言っても、個々の人間が考えていることは違う。たとえば戦争にしても、断固、改選すべきだと考えている人もあるし、やはり平和主義がいいと考える人もいる。そうした多種多様の意見を、1人の政治家が背負えるわけがない。

しかし議会は違う。議会には、さまざまな選挙区で、さまざまな政見によって当選した議員たちが集まっている。だからこそ「民意は議会にあり」で、議会のほうが強い力を持っているとされるわけです。

戦争に熱狂した日本人

さて、そこで当時の日本の民意は、どこにあったか。確かに昭和12年、林首相が総選挙を行ったときには、民意は軍部に対して批判的でした。だからこそ総選挙の結果、与党は敗れ、林内閣は倒れざるを得なかった。
ところが、それからわずか
3年後の昭和15年、斎藤隆夫が反軍演説をしたとき、民意はそこになかった。

つまり、軍部と同じようにシナ事変を「聖戦」だと考える意見が圧倒的だった。衆議院の大多数が彼を除名処分にすることに賛成したと言うのも、結局は世論が彼を見捨てたからです。代議士と言う種族くらい世論の動向に敏感な存在はない。彼らにとっての最大の関心事は次の選挙で当選するかどうかですから、それは当然です。
あの時、代議士たちが斎藤除名に回ったのも、結局はそうしないと選挙で勝てないと考えたからに他ならない。

ですから、私が先ほど述べた、総選挙で勝って内閣を打倒すると言う方法も、また予算案を否決すると言う手段も、当時の日本においては使えなかった。いかに議会が軍と対抗しようとしても、最大の味方であるはずの世論が軍を支持していたのですから、勝負すでに付いていたと考えるしかないのです。

現代の歴史観では「戦前の日本は暗黒で、日本の大衆もマスコミも軍の弾圧を恐れて、何も発言が効きなかった」とされています。しかし、それはとんでもない話です。シナ事変において、マスコミは沈黙するどころか軍よりも戦争に熱狂していた。そして、言論を尽くして軍と大衆を戦争に煽り立てていった。

昭和1277日、シナ事変が始まった当初、日本軍は破竹の猛進撃でした。その年の暮れに早くも国民政府の首都・南京に迫るほどだった。連戦連勝の報が伝えられるようになると、日本国民は猛烈に興奮した。毎日、新聞を開いては南京陥落のニュースを「まだか、まだか」と待ちわびたほど。これは子供だけの話ではありません。大人も子供も、男も女もみんな同じです。

シマジ そんなに戦争って興奮するんですかねえ。

何しろ当時の日本人は「戦争は負けることもある」なんて考えもしなかった。と言うのも、近代日本が体験した日清・日露の両戦争は、ともに日本の大勝利だと教えられている。

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実際には日露戦争などは薄氷を踏むような勝利だったのですが、そんなことは知りません。「神国・日本に敵はなし」だった。だから、シナ事変においても日本が勝つのは当たり前。「なあに相手は、ろくに訓練も受けていないシナ軍だ。鎧袖一触で蹴散らしてやる」と誰もが思っていた。だからこそ、南京陥落を一日千秋の思いで国民全員が待ちわびていた。日本人が戦争に対して不安を感じるようになるのは戦局が悪化してからのことです。少数の批判者はあれども、ほとんどの日本人は軍の活躍に期待していた。

「空気が」支配する国

どれだけ当時の日本人が戦争に熱狂していたかを示すエピソードがあります。昭和12年末、いよいよ首都・南京に対する総攻撃が始まろうとする前の晩、何を血迷ったか、ある新聞が「南京陥落」と言う号外をばら撒いた。これは南京攻撃開始を取り違えての誤報だったのですが、その号外に接した市民の興奮たるや恐るべきものだった。すぐに銀座の街頭には「祝南京陥落」の看板が掲げられ、芝居小屋では役者も観客も万歳の連呼。各地の盛り場では、バーやカフェの女性たちが提灯行列を行った。断っておきますが、これは当局が強制したものではありません。何しろ、南京がまだ陥落していないことを一番良く知っているのは当局です。したがって政府や軍部が、これを仕組んだと言うことはありえない。みんな市民が自主的に行った事です。

「不敗神話」を信じていた戦前の日本人

シマジ でも、結局は誤報で、みんながっかりしたんでしょう。

ところが、そうではなかった。と言うのも本来なら、政府や陸軍が「まだ陥落していない」と言明を出すべきなのですが、あまりに大衆が興奮したのを見て当局も恐れをなした。結局、誰もそれを公式に否定することが出来なかった。つまり、大衆のほうが軍よりも戦争に酔っていたのです。戦争を歓迎していた。さて、そこで思い出していただきたいのですが、浜田国松の「腹切り問答」や林内閣の総辞職は総て、このシナ事変の起こる前の話です。その段階においては、まだ国民は軍に対して警戒心を抱いていた。だから議会も正常に機能していた。ところが、シナ事変が起こったら、その世論が一変した。シナ事変は「聖戦」である、要するに勝てる戦争だ。


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天下の公論に反対するとは何事だと言うことになった。山本七平氏は、日本は「空気で」が支配する国であると言う、きわめて注目すべき指摘をしています。この戦争は正しい、軍部を批判する奴は卑怯者だ・・・こうした「空気」が世間に充満してくると、もはやそれには誰も逆らえない。たとえ本心では「この戦争は負けるのではないか」と思っていても、それを口に出すことも出来ない。空気の前には道理が引っ込む。

こうして日本はずるずると戦争に突入することになるのですが、そうした空気が出来たのはシナ事変がきっかけではないかと思います。南京陥落と言うニュースを聞いて、全国民が興奮した。そのときを持って、日本の空気はガラリと変わったのです。こうなってしまえば、もはや良心的な議員がいたとしてもなんの役に立ちましょう。1人の斎藤隆夫がどんな頑張ったとて、目には見えない「空気」には勝てません。かくして議会は死に、憲法は死んだのです。

戦前も戦後も、日本人の体質はまったく同じである、
誰が角栄を殺したのか

シマジ 結局、軍部が独裁するようになったのも、戦争をすることになったのも、総ては国民に原因があるってわけですか。自分の国の事ながら、なんだか情けない話ですねえ。

ン、今君は何と言ったかね。

シマジ いや、だから情けねえなあ、と。

情けないとは何事ですか!

シマジ どうしたんですか、突然。落ち着いてくださいよ。

君は、戦前の日本で起こったことをさも他人事のように言っているが、戦前の体質はそっくりそのまま現代まで残っている。戦前も戦後も、日本人は本質的に変わっていないのです。そんなわれわれが、どうして戦前の日本を批判することが出来ますか。本書の中でも述べてきたように、現代の日本では憲法は死んでいます。議会の死んだも同然です。このようになったのも、国民が自ら播いた種。しかも、憲法や議会を殺したいきさつまで戦前と一緒です。1回の過ちなら、過失であったともいいわけも出来る。だが、同じ過ちを繰り返したのでは弁解のしょうがない。

情けないのは、私たち現代の日本人のほうです。戦前の帝国議会は、斎藤隆夫と言う議員を除名することによって「自殺」をしたそれと瓜二つ出来事が戦後にも起こった。1人の大政治家を追放したことで、戦後のデモクラシーも自殺を遂げた。これをもって日本の議会は死んだ。

シマジ いったい、その大政治家って誰です?そんな人いたっけなあ。

その人とは、あなたもよくご存知の田中角栄元首相です。

シマジ えーっ!あの角 さんですかあ。

そのとおりです。日本人は田中角栄を「殺した」事で、みずからのデモクラシーを捨てた。今日の日本が出口の見えない状況に置かれているのも、元を質せば、ここに大きな原因がある。あえて申し上げるが、田中角栄こそ戦後日本でただ一人のデモクラシーの権化。そのデモクラシーの権化を殺してしまったのだから、今の日本が行き詰まったのは当然のことです。

シマジ つまりは「角栄の呪い」ってわけですか。

では、誰が田中角栄を「殺した」のか。それは戦前と同じ「空気」でした。


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田中角栄が「戦後最大の名政治家」である理由、議員立法のレコード・ホルダー・

田中角栄がロッキード事件で起訴されたときの日本の空気は、今の40歳以上の方ならよく覚えているでしょう。裁判がまだ終わっていないのに新聞もテレビも見な、有罪が確定したかのような報道ぶり。もう反省しろだの、恥を知れだの、口々のみなが罵っていた「有罪か無罪かは裁判が終わるまで分からない」なんてデモクラシーの常識を言うものなら、それこそ袋叩きに遭った。

しかし、その世論はわずか数年前、田中角栄が首相に就任したした時にはなんと言って彼を誉めそやしたか。「今太閤」、「庶民宰相」と言う大活字が新聞に躍ったではありませんか。この変わり身の早さたるや、戦前の日本とそっくりです。シナ事変が始まる前までは議会を応援していた日本人が、事変が始まるや議会を敵に回った。このことだけを見ても、戦前も戦後も日本人がちっとも変わっていないことは明白ではありませんか。

平成1413


痛快!憲法学 小室直樹 集英社インターナショナル 平成13107

すべては議会から始まった、

「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(日本国憲法 第41条)

多数決は「民主主義的制度」だと思ったら、大間違い。民主主義と憲法とは関係ない!

さて、これから「いかにして近代デモクラシーは『国家とはリヴァイアサンなり』と考えるにいたったか」について説明していこうと思うわけですが、まず講義の最初にシマジ君第13章 憲法はよみがえるか「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統治の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(日本国憲法第1条)

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256頁

家産官僚制 「王様の召使」は、いかにして公僕になったのか

官僚制の研究

なぜ、エリートであったはずの官僚たちが、かくも堕落してしまったのか。

よく疑問を解くカギは、歴史にあります。名著『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』を書いたマックス・ウェーバーは、官僚制の研究においても不朽の業績を残しています。彼は古今東西の官僚制度を徹底的に研究して「官僚とは何か」を明らかにした。そこで彼が強調しているのは、一口に官僚制といってもそこには2種類があるということです。すなわち家産官僚制と、依法官僚制です。

前に述べたことと重なりますが、中世ヨーロッパ王国では国王の権力は非常に限られたものでした。領主たちの既得権益の壁は厚く、王といえども領主たちの土地に税金をかけることはできなかった。ところが時代を経るにしたがって、国王の力が増して、最後には絶対王権にまで行き着いたというわけです。

さて、この絶対王権の時代になって発達したのが官僚制です。それまでの王国では、領主の土地に税金をかけるわけにもいかず、王の収入は直轄地からの上がりだけだったのが、絶対王権の時代になると、国そのものが国王のものになった。

したがって、国中に税金をかけることができるようになったのですが、その税金を集めて、管理するには専門の担当者が必要です。そこで王は有能な人間をスカウトして、彼らを役人にした。そこで官僚制が発達したのです。

シマジ 今も昔も、お上は税金の取立てには熱心だったですねえ。

さて、そこで大切なのは、初期の役人はみな王様の僕であったということです。現代の私たちは、「役人は公僕である」と思っていますが、絶対王朝の官僚はそうではない。官僚とはあくまでも王様に仕える、いわばプライベートな召使だったわけです。

こうした官僚制のことをウェーバーは「家産官僚制」と名付けました。絶対王権の国家とは、結局のところ、国王の所有物です。人民も土地も、すべてが国王の財産、つまり「家産」である。その家産を管理するのが、家産官僚の役割です。

したがって、家産官僚は何もヨーロッパ独自のものではありません。むしろヨーロッパの官僚制の誕生は世界史的に見ると遅いほうで、中国や古代エジプトなどでは紀元前から家産官僚たちがいて、権力者に仕えていたのです。

 

家産官僚の特徴は「公私混同」

さてヨーロッパでは絶対王権の時代に家産官僚が誕生するのですが、時代がたち、その絶対王権が立憲制やデモクラシーに変わってくると、いきおい官僚の性格も変わっていきます。そうして誕生したのが、依法官僚制です。依法官僚制とは読んで字のごとく、法に従って動く官僚と言う意味です。

シマジ じゃ、家産官僚は法律無視ってわけですか。

そもそも絶対王権では、国家の隅から隅まで王様の持ち物であって、王様がすべてを決めることができる。王様が法律であるといっても大げさではない。家産官僚は、その強大な権力をもった国王の名代として働いているのですから、官僚もまた絶大な力を持っている。

257、シマジ 相当、威張っていたんでしょうね。

威張るところの 話ではありません。家産官僚たちは、その本質は王様の私的な召使でありながら、外面的には役人という公的な仕事を行っている、いわば矛盾した存在です。その矛盾した性格のゆえに彼らには、公私の区別がない。

その最も分かりやすいのが、税金をめぐる問題です。私たちは税金は公のものであると思っていますが、加算官僚たちにはその感覚がありません。国民から巻き上げた金は国家のもののようでもあり、王様のもののようでもあり、じぶんのもののようでもある。つまり、公の金と自分の金の区別がない。

古代中国の役人はその典型です。中国には「清官三代」、つまり金に執着のない人間でも、地方官となって赴任すれば、その在職中に得た利益で孫子の代まで楽に暮らせるということわざがあった。清官でも、これだけの財産を残せるのであれば、濁官ともなれば恐るべき財産を蓄えることができた。

それというのも中国の歴代王朝においては、地方官は自分に割り当てられただけの上納金を皇帝に納めさえすれば、あとは自分の収入にしてよかった。税金と自分の金の区別がないのです。だから、欲張りな地方官なら人民から取り立てられる だけ取り立てた。

それだけではなく、何かあるたびに口利き料だとかいって、金を巻き上げる。これも役人の裁量一つで決まった。

シマジ ごうつく役人が赴任してきたら災難ですねえ。

しかし、これは何も中国だけの話ではない。どこの国でも家産官僚なら、同じことをやった。家産官僚にとっては「公のものは俺のもの」なのです。

役人は「法律マシーン」たれ

いうまでもないことですが、国家が絶対王権から立憲君主制、さらにはデモクラシーとなっていけば、官僚が家産官僚のメンタルティを残していたのでは困ります。官僚は国王の召使ではなく、「公僕」にならなければならない。そこで生まれたのが先ほども述べた、依法官僚制においては、官僚は法に従って行動する。権力を笠に着て勝手な駆動をしてはいけないし、ましてや税金を自分の懐に入れることなど絶対にあってはならない。言い換えれば、近代の官僚は「法律の実行マシーン」である。

シマジ 法律の実行マシーンというと、血も涙もないような。

と感じてしまうのは日本人の感覚です。考えて御覧なさい。「この法律は俺の権限で変更する」とか「この法律は俺の意見と違うから無視する」などという官僚がいたら、人民が迷惑するではありませんか。官僚が法律というプログラムに従うロボットでなければ、大変なことになるのです。

シマジ そりゃそうだ。

といっても、ロボットだから誰でもいいというわけではない。ことに現代の社会は複雑多岐にわたっているから、官僚が守るべき法律はたくさんある。それらをきちんとマスターしていなければ困るので、どこの国でも能力ある人を官僚に仕様とするわけです。さて、そこで現代日本を見た場合、果たして日本の官僚は家産官僚が、依法官僚か。

シマジ うーん、どう考えても家産官僚ですね。だって自分のポッポに税金を入れちゃうやつがたくさんいるですものね。

そのくらいなら、まだまだ罪は軽い。日本の官僚の場合、もっともっと悪質です。家産官僚の特徴は「公のものは俺のもの」で公私の区別がないことにあるわけですが、日本の高級官僚たちはまさにその典型例。何しろ、彼らは日本経済全体が所有物であるかのごとく錯覚している。

258

官僚の害を撲滅しない限り、この不況は終わらない

シジマ 日本経済は俺のもの!そこまで考えている ですか、高級官僚の皆さんは。

日本経済を支配したエリート官僚

そのいい例が、ついこの間まで行われていた「護送船団方式」なる銀行行政です。日本の大蔵省は「一行たりとも銀行はつぶさない」と言う美名の下、ことあるたびに銀行の経営に口を出してきた。預金の利子はもちろんのこと、お客に配るカレンダーのサイズや絵柄まで大蔵省銀行局にお伺いを立てなければ銀行は何も決められない。

つまり銀行の経営権を実質的に握っているのは、株主でもなければ経営者でもない。大蔵省の役人が銀行を事実上「所有」していたのです。もちろん「銀行のカレンダーは、かくあるべし」なんて国会で決まったことでもなければ、大蔵大臣の言ったことでもない。それらはすべて、大蔵用の役人の勝手な裁量で行われている。そこには法律的な根拠はない。しかもその行政指導は何も文面で行われると限ったわけではない。銀行の優秀なMOFモフ担ともなれば、お役人の顔色を見、声を聞いただけで「あ、これは大丈夫」「これはよくない」とわかったという。これのどこが依法官僚といえるでしょう。これは何も大蔵官僚に限った話ではありません。あらゆる官庁の役人は、日本経済は俺のものだと思って、今なお各業界を指導・監督しています。日本の官僚はあたかも近代官僚、つまり依法官僚のふりをしているけれども、その実はぜんぜん違う。まだ家産官僚の域を脱していない。いや、家産官僚そのものなのです。

シマジ つまり先祖返りしたというわけか。

そんな官僚たちが司法・行政・立法の三権を独占し、さらには日本経済までを私物化しているのですから、はなからうまくいくはずがない。平成不況がはじまって、すげに10年ですが、かくも長き不況から脱出できないのも当然すぎるほど当然のこと。この官僚の害を除かない限り、日本の経済は絶対によくならない。そう断言してもいいでしょう。

役人の害をどう防ぐか

シジマ それじゃあ、先生、この官僚たちの態度を改めさせ、依法官僚とやらにすれば日本経済はよくなりますか。

259、君は「官僚たちの心を入れ替えさせる」と簡単におっしゃいますが、それがどんなに大変なことであるか。依法官僚にせよ、家産官僚にせよ、官僚というものは放っておけば、自分の権力をどんどん肥大化させ、腐敗していくものと相場が決まっています。これは古今東西、どんな官僚組織であっても例外ではない。したがって、官僚とは本来、悪であると考えたほうが考えたほうがいい。官僚を信じてはいけないのです。

01/10/7 16355

官僚の害は必ず起こると考えて、その対策を立てるしか方法はありません。では、具体的にはどうすればいいか・・その答えを知る上で最も参考になるのが、中国の歴史です。

中国の官僚制度の歴史は、世界で最も長い。何しろ紀元前の戦国時代には整備・体系化された官僚制がすでに誕生しており、それが1912年に清国が滅びるまで2000年以上も続いた。

中国のように巨大な帝国を統治するには、官僚の存在が絶対に欠かせないから、それは当然のことではあります。しかし、これは別の側面から考えてみると、到底「当然のこと」などと決め付ければすむ問題ではない。というのも、それだけ官僚組織が長く続けば、弊害も大きくなって当然だからです。それなのに、中国の官僚制はなぜあれだけ続いたのか。そのことを考えてみる必要があります。

もちろん、そこには王朝の交代がしょっちゅう起こったという事実はあります。王朝が交替すれば、当然のことながら、官僚も一新する。確かに、これは大きな要素です。しかし、そうはいっても、たいていの王朝はけっして100年そこらでは変わらない。中国の歴代王朝は300年近く続いたものも珍しくありません。

 

日本なんて近代的官僚制度ができて1世紀ちょっとでこれだけ腐敗してなぜ中国では曲がりなりにも1つの王朝が3世紀も維持できたのか。

シマジ いわれてみれば不思議ですねえ。

実は、それこそが官僚の害を抑えるためのヒントなのです。

なぜ中華帝国は2000年も続いたか

では、中国の王朝は巨大な官慮組織をもちながら、どうして長続きしたのか。その最大の理由は、つねに官僚グループに対抗する勢力があったからです。
その対抗勢力がつねに官僚組織を監視し、それが腐敗、堕落してくると糾弾した。だからこそ、官僚組織が制度疲労を起こさず、
長持ちした。

先ほども述べたように、中国における官僚制度の起源は2000年以上前に遡るのですが、官僚制初期のライバルは、貴族たちでした。何しろ、中国の皇帝といえば、結局のところ実力でのし上がってきた人物ですから、貴族から見れば、「どこの馬の骨かわからない」ということになる。

だから皇帝にとっては貴族の存在がわずらわしい。そこで貴族以外から人材を登用して、自分の思うがままに使いたいということから官僚制は始まった。すなわち、官僚とは元々、皇帝が貴族を退治するための武器であったというわけです。もちろん貴族の方だって、そうした皇帝の意図はお見通しです。そこで貴族は、皇帝のスタッフである官僚たちのあら探しをする。また官僚にしても、血筋をひけらかす貴族に対しては敵愾心を燃やしていたというわけです。

毒をもって毒を制した、中国皇帝の知恵

ところが、その貴族もヨーロッパと同じで、時代が進むにつれて勢力が衰えてくる。紀元10世紀の初め、唐王朝が滅びて五代の戦乱が起きると、貴族はほとんど消えてしまいます。そして宋の時代になると貴族は完全に消えた。

260、官僚組織の暴走を防ぐ特効薬はあるか

シマジ となれば、今度は官僚の天下になる。

ところが、そうは問屋が卸さない。というのも、貴族がいなくても官僚にはまだまだライバルがいた。それは宦官です中国史に多少なりとも興味のある人なら、誰でもご承知のとおり、中国では古来から「宦官の害」があった。宦官というのは、本当の意味での皇帝の皇帝のプライベートな召使なのですが、彼ら宦官は皇帝の近くに侍っているのをいいことに政治にまで口を出し、それによって政変は数知れない。それだけ宦官が問題ならば、さっさと廃止してしまえばいいのにと思ってしまうわけですが、実は宦官がいるおかげで、官僚の専横が防げるという効用もある。

宦官が皇帝の私的な召使とすれば、官僚は皇帝の公的部門に仕える召使。したがって、両者の中の悪さたるや、恐るべきものがあった。いずれの側も、何とかして相手を倒そうと虎視眈々。

シマジ なるほど「人間は緊張感があると堕落しない」というわけですね。なんだか耳の痛い話だなあ。

「最高の官僚は最悪の政治家である」

しかし、貴族や宦官がいたとしても、それでもなお官僚たちを抑えられるとは限らない。そこでさらに中国の歴代王朝が考えたのが、御史台と言う組織です。この御史台とは、要するに官僚の汚職を捜査する機関です。といっても、御史台の力たるや今日の警察や検察の比にあらず。

なぜなら、この御史台の長官である御史大夫に告発されると、自動的に有罪だと推定される。つまり、「疑わしきは罰する」という原則が適用される。したがって、この御史大夫に告発されて助かろうと思えば、被告の側が自分の無罪を完璧に立証する必要があるわけですが、昔の中国においては、そこまでやった人はまずいません。というのも、疑いをもたれた時点で官僚ははいさぎよく死ぬものと決まっていた。

そこで悪あがきするのは、高級官僚のプライドが許さないというわけです。
たとえば御史大夫の告発を受けた官僚は、皇帝から毒入りの菓子をいただく。それを黙って食べて死ぬ。
言い訳したり、妻子ともども夜逃げをしたりしない。

シマジ 死刑率100%!史上最も怖い警察ですね。

今の人間から見れば、なんと言う恐怖政治かと思ってしまうでしょうが、そのくらい強大な権力で牽制していないと、官僚組織はかぎりなく肥大し腐敗していく。そうなると、もはや皇帝でさえどうにもならないというわけです。この講義で私は何度も「国家権力はリヴァイアサンである」と述べましたが、高級官僚とはそのリヴァイアサンをも食い殺してしまう、恐るべき怪獣、いや寄生虫です。この寄生虫がはびこれば、皇帝でさえ権力を失いかねない。だからこそ、中国の皇帝たちは知恵の限りを絞って、御史台と言う制度を作った。日本のマスコミは、官僚の不祥事があるたびに「自浄努力を求める」などといっていますが、中国の皇帝たちが聞いたら、鼻で笑ったことでしょ。


261
官僚に自浄能力を求めるなんて、ないものねだりもはなはだしい。そんなことは夢物語だというわけです。実際、これだけいろいろ知恵を絞っても、それでも中国の歴代王朝はすべて滅んだ。その根底にはいずれも官僚の害があったと考えて間違いない。
そのくらいなら官僚の害は恐ろしいのです。

シマジ だったら、官僚制なんて止めましょう。そうすりゃ、話は簡単ですよ。

いくらなんでも、それは暴論というものだ。いにしえのアテネのように、国家の規模が極端に小さければ役人を国民から抽選で選ぶこともできるだろうが、近代国家を官僚抜きで運営をすることなど最初から不可能な話です。近代官僚制は近代国家とともに生まれたという事実を忘れてはいけません。となると、残された道は何か。

いかにエリート教育を受けたとはいえ、しょせん官僚は優秀な「マシーン」にすぎません。偏差値ロボットです。彼らは過去の前例や既存の法律はよく記憶しているかもしれないが、今までに経験したことのない事態に遭遇したときには、何の役にも立たない。

学校教育は知識を教えてくれるけれども、発想力や創造力までは与えてくれない。マックス・ウェーバーは「最良の官僚は最悪の政治家である」と述べています。どれだけ優秀な官僚であっても、彼らには政治家たる資格、指導者たる資質はない。官僚に政治を行わせるのは、サルに小説を書かせるよりもむずかしい。政治家たちが上手にコントロールして、初めて官僚の力を活かすことができる。その好例が田中角栄です。

もはや日本の運命は決まった。平成13107

 


痛快!憲法学 小室直樹 集英社インターナショナル 平成13107

すべては議会から始まった、

「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(日本国憲法 第41条)

多数決は「民主主義的制度」だと思ったら、大間違い。民主主義と憲法とは関係ない!

さて、これから「いかにして近代デモクラシーは『国家とはリヴァイアサンなり』と考えるにいたったか」について説明していこうと思うわけですが、まず講義の最初にシマジ君第13章 憲法はよみがえるか「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統治の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(日本国憲法第1条)

254


256頁

トップに 家産官僚制 「王様の召使」は、いかにして公僕になったのか

官僚制の研究

なぜ、エリートであったはずの官僚たちが、かくも堕落してしまったのか。

よく疑問を解くカギは、歴史にあります。名著『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』を書いたマックス・ウェーバーは、官僚制の研究においても不朽の業績を残しています。彼は古今東西の官僚制度を徹底的に研究して「官僚とは何か」を明らかにした。そこで彼が強調しているのは、一口に官僚制といってもそこには2種類があるということです。すなわち家産官僚制と、依法官僚制です。

前に述べたことと重なりますが、中世ヨーロッパ王国では国王の権力は非常に限られたものでした。領主たちの既得権益の壁は厚く、王といえども領主たちの土地に税金をかけることはできなかった。ところが時代を経るにしたがって、国王の力が増して、最後には絶対王権にまで行き着いたというわけです。

さて、この絶対王権の時代になって発達したのが官僚制です。それまでの王国では、領主の土地に税金をかけるわけにもいかず、王の収入は直轄地からの上がりだけだったのが、絶対王権の時代になると、国そのものが国王のものになった。

したがって、国中に税金をかけることができるようになったのですが、その税金を集めて、管理するには専門の担当者が必要です。そこで王は有能な人間をスカウトして、彼らを役人にした。そこで官僚制が発達したのです。

シマジ 今も昔も、お上は税金の取立てには熱心だったですねえ。

さて、そこで大切なのは、初期の役人はみな王様の僕であったということです。現代の私たちは、「役人は公僕である」と思っていますが、絶対王朝の官僚はそうではない。官僚とはあくまでも王様に仕える、いわばプライベートな召使だったわけです。

こうした官僚制のことをウェーバーは「家産官僚制」と名付けました。絶対王権の国家とは、結局のところ、国王の所有物です。人民も土地も、すべてが国王の財産、つまり「家産」である。その家産を管理するのが、家産官僚の役割です。

したがって、家産官僚は何もヨーロッパ独自のものではありません。むしろヨーロッパの官僚制の誕生は世界史的に見ると遅いほうで、中国や古代エジプトなどでは紀元前から家産官僚たちがいて、権力者に仕えていたのです。


家産官僚の特徴は「公私混同」

さてヨーロッパでは絶対王権の時代に家産官僚が誕生するのですが、時代がたち、その絶対王権が立憲制やデモクラシーに変わってくると、いきおい官僚の性格も変わっていきます。そうして誕生したのが、依法官僚制です。依法官僚制とは読んで字のごとく、法に従って動く官僚と言う意味です。

シマジ じゃ、家産官僚は法律無視ってわけですか。

そもそも絶対王権では、国家の隅から隅まで王様の持ち物であって、王様がすべてを決めることができる。王様が法律であるといっても大げさではない。家産官僚は、その強大な権力をもった国王の名代として働いているのですから、官僚もまた絶大な力を持っている。

257、

シマジ 相当、威張っていたんでしょうね。

威張るところの 話ではありません。家産官僚たちは、その本質は王様の私的な召使でありながら、外面的には役人という公的な仕事を行っている、いわば矛盾した存在です。その矛盾した性格のゆえに彼らには、公私の区別がない。

その最も分かりやすいのが、税金をめぐる問題です。私たちは税金は公のものであると思っていますが、加算官僚たちにはその感覚がありません。国民から巻き上げた金は国家のもののようでもあり、王様のもののようでもあり、じぶんのもののようでもある。つまり、公の金と自分の金の区別がない。

古代中国の役人はその典型です。中国には「清官三代」、つまり金に執着のない人間でも、地方官となって赴任すれば、その在職中に得た利益で孫子の代まで楽に暮らせるということわざがあった。清官でも、これだけの財産を残せるのであれば、濁官ともなれば恐るべき財産を蓄えることができた。

それというのも中国の歴代王朝においては、地方官は自分に割り当てられただけの上納金を皇帝に納めさえすれば、あとは自分の収入にしてよかった。税金と自分の金の区別がないのです。だから、欲張りな地方官なら人民から取り立てられる だけ取り立てた。

それだけではなく、何かあるたびに口利き料だとかいって、金を巻き上げる。これも役人の裁量一つで決まった。

シマジ ごうつく役人が赴任してきたら災難ですねえ。

しかし、これは何も中国だけの話ではない。どこの国でも家産官僚なら、同じことをやった。
家産官僚にとっては「公のものは俺のもの」なのです。


役人は「法律マシーン」たれ

いうまでもないことですが、国家が絶対王権から立憲君主制、さらにはデモクラシーとなっていけば、官僚が家産官僚のメンタルティを残していたのでは困ります。官僚は国王の召使ではなく、「公僕」にならなければならない。そこで生まれたのが先ほども述べた、依法官僚制においては、官僚は法に従って行動する。権力を笠に着て勝手な駆動をしてはいけないし、ましてや税金を自分の懐に入れることなど絶対にあってはならない。言い換えれば、近代の官僚は「法律の実行マシーン」である。

シマジ 法律の実行マシーンというと、血も涙もないような。

と感じてしまうのは日本人の感覚です。考えて御覧なさい。「この法律は俺の権限で変更する」とか「この法律は俺の意見と違うから無視する」などという官僚がいたら、人民が迷惑するではありませんか。官僚が法律というプログラムに従うロボットでなければ、大変なことになるのです。

シマジ そりゃそうだ。

といっても、ロボットだから誰でもいいというわけではない。ことに現代の社会は複雑多岐にわたっているから、官僚が守るべき法律はたくさんある。それらをきちんとマスターしていなければ困るので、どこの国でも能力ある人を官僚に仕様とするわけです。さて、そこで現代日本を見た場合、果たして日本の官僚は家産官僚が、依法官僚か。

シマジ うーん、どう考えても家産官僚ですね。だって自分のポッポに税金を入れちゃうやつがたくさんいるですものね。

そのくらいなら、まだまだ罪は軽い。日本の官僚の場合、もっともっと悪質です。家産官僚の特徴は「公のものは俺のもの」で公私の区別がないことにあるわけですが、日本の高級官僚たちはまさにその典型例。何しろ、彼らは日本経済全体が所有物であるかのごとく錯覚している。258


官僚の害を撲滅しない限り、この不況は終わらない

シジマ 日本経済は俺のもの!そこまで考えている ですか、高級官僚の皆さんは。

日本経済を支配したエリート官僚

そのいい例が、ついこの間まで行われていた「護送船団方式」なる銀行行政です。日本の大蔵省は「一行たりとも銀行はつぶさない」と言う美名の下、ことあるたびに銀行の経営に口を出してきた。預金の利子はもちろんのこと、お客に配るカレンダーのサイズや絵柄まで大蔵省銀行局にお伺いを立てなければ銀行は何も決められない。

つまり銀行の経営権を実質的に握っているのは、株主でもなければ経営者でもない。大蔵省の役人が銀行を事実上「所有」していたのです。もちろん「銀行のカレンダーは、かくあるべし」なんて国会で決まったことでもなければ、大蔵大臣の言ったことでもない。それらはすべて、大蔵用の役人の勝手な裁量で行われている。そこには法律的な根拠はない。しかもその行政指導は何も文面で行われると限ったわけではない。銀行の優秀なMOFモフ担ともなれば、お役人の顔色を見、声を聞いただけで「あ、これは大丈夫」「これはよくない」とわかったという。これのどこが依法官僚といえるでしょう。これは何も大蔵官僚に限った話ではありません。あらゆる官庁の役人は、日本経済は俺のものだと思って、今なお各業界を指導・監督しています。日本の官僚はあたかも近代官僚、つまり依法官僚のふりをしているけれども、その実はぜんぜん違う。まだ家産官僚の域を脱していない。いや、家産官僚そのものなのです。

シマジ つまり先祖返りしたというわけか。

そんな官僚たちが司法・行政・立法の三権を独占し、さらには日本経済までを私物化しているのですから、はなからうまくいくはずがない。平成不況がはじまって、すげに10年ですが、かくも長き不況から脱出できないのも当然すぎるほど当然のこと。この官僚の害を除かない限り、日本の経済は絶対によくならない。そう断言してもいいでしょう。


役人の害をどう防ぐか

シジマ それじゃあ、先生、この官僚たちの態度を改めさせ、依法官僚とやらにすれば日本経済はよくなりますか。259

君は「官僚たちの心を入れ替えさせる」と簡単におっしゃいますが、それがどんなに大変なことであるか。依法官僚にせよ、家産官僚にせよ、官僚というものは放っておけば、自分の権力をどんどん肥大化させ、腐敗していくものと相場が決まっています。これは古今東西、どんな官僚組織であっても例外ではない。したがって、官僚とは本来、悪であると考えたほうが考えたほうがいい。官僚を信じてはいけないのです。

01/10/7 16355

官僚の害は必ず起こると考えて、その対策を立てるしか方法はありません。では、具体的にはどうすればいいか・・その答えを知る上で最も参考になるのが、中国の歴史です。

中国の官僚制度の歴史は、世界で最も長い。何しろ紀元前の戦国時代には整備・体系化された官僚制がすでに誕生しており、それが1912年に清国が滅びるまで2000年以上も続いた。

中国のように巨大な帝国を統治するには、官僚の存在が絶対に欠かせないから、それは当然のことではあります。しかし、これは別の側面から考えてみると、到底「当然のこと」などと決め付ければすむ問題ではない。というのも、それだけ官僚組織が長く続けば、弊害も大きくなって当然だからです。それなのに、中国の官僚制はなぜあれだけ続いたのか。そのことを考えてみる必要があります。

もちろん、そこには王朝の交代がしょっちゅう起こったという事実はあります。王朝が交替すれば、当然のことながら、官僚も一新する。確かに、これは大きな要素です。しかし、そうはいっても、たいていの王朝はけっして100年そこらでは変わらない。中国の歴代王朝は300年近く続いたものも珍しくありません。

日本なんて近代的官僚制度ができて1世紀ちょっとでこれだけ腐敗してなぜ中国では曲がりなりにも1つの王朝が3世紀も維持できたのか。

シマジ いわれてみれば不思議ですねえ。

実は、それこそが官僚の害を抑えるためのヒントなのです。


なぜ中華帝国は2000年も続いたか

では、中国の王朝は巨大な官慮組織をもちながら、どうして長続きしたのか。その最大の理由は、つねに官僚グループに対抗する勢力があったからです。その対抗勢力がつねに官僚組織を監視し、それが腐敗、堕落してくると糾弾した。だからこそ、官僚組織が制度疲労を起こさず、長持ちした。

先ほども述べたように、中国における官僚制度の起源は2000年以上前に遡るのですが、官僚制初期のライバルは、貴族たちでした。何しろ、中国の皇帝といえば、結局のところ実力でのし上がってきた人物ですから、貴族から見れば、「どこの馬の骨かわからない」ということになる。

だから皇帝にとっては貴族の存在がわずらわしい。そこで貴族以外から人材を登用して、自分の思うがままに使いたいということから官僚制は始まった。すなわち、官僚とは元々、皇帝が貴族を退治するための武器であったというわけです。もちろん貴族の方だって、そうした皇帝の意図はお見通しです。そこで貴族は、皇帝のスタッフである官僚たちのあら探しをする。また官僚にしても、血筋をひけらかす貴族に対しては敵愾心を燃やしていたというわけです。

毒をもって毒を制した、中国皇帝の知恵

ところが、その貴族もヨーロッパと同じで、時代が進むにつれて勢力が衰えてくる。紀元10世紀の初め、唐王朝が滅びて五代の戦乱が起きると、貴族はほとんど消えてしまいます。そして宋の時代になると貴族は完全に消えた。

260、官僚組織の暴走を防ぐ特効薬はあるか

シマジ となれば、今度は官僚の天下になる。

ところが、そうは問屋が卸さない。というのも、貴族がいなくても官僚にはまだまだライバルがいた。それは宦官です中国史に多少なりとも興味のある人なら、誰でもご承知のとおり、中国では古来から「宦官の害」があった。宦官というのは、本当の意味での皇帝の皇帝のプライベートな召使なのですが、彼ら宦官は皇帝の近くに侍っているのをいいことに政治にまで口を出し、それによって政変は数知れない。それだけ宦官が問題ならば、さっさと廃止してしまえばいいのにと思ってしまうわけですが、実は宦官がいるおかげで、官僚の専横が防げるという効用もある。


宦官が皇帝の私的な召使とすれば、官僚は皇帝の公的部門に仕える召使。したがって、両者の中の悪さたるや、恐るべきものがあった。いずれの側も、何とかして相手を倒そうと虎視眈々。

シマジ なるほど「人間は緊張感があると堕落しない」というわけですね。なんだか耳の痛い話だなあ。


「最高の官僚は最悪の政治家である」

しかし、貴族や宦官がいたとしても、それでもなお官僚たちを抑えられるとは限らない。そこでさらに中国の歴代王朝が考えたのが、御史台と言う組織です。この御史台とは、要するに官僚の汚職を捜査する機関です。といっても、御史台の力たるや今日の警察や検察の比にあらず。

なぜなら、この御史台の長官である御史大夫に告発されると、自動的に有罪だと推定される。つまり、「疑わしきは罰する」という原則が適用される。したがって、この御史大夫に告発されて助かろうと思えば、被告の側が自分の無罪を完璧に立証する必要があるわけですが、昔の中国においては、そこまでやった人はまずいません。というのも、疑いをもたれた時点で官僚ははいさぎよく死ぬものと決まっていた。

そこで悪あがきするのは、高級官僚のプライドが許さないというわけです。たとえば御史大夫の告発を受けた官僚は、皇帝から毒入りの菓子をいただく。それを黙って食べて死ぬ。言い訳したり、妻子ともども夜逃げをしたりしない。

シマジ 死刑率100%!史上最も怖い警察ですね。

今の人間から見れば、なんと言う恐怖政治かと思ってしまうでしょうが、そのくらい強大な権力で牽制していないと、官僚組織はかぎりなく肥大し腐敗していく。そうなると、もはや皇帝でさえどうにもならないというわけです。この講義で私は何度も「国家権力はリヴァイアサンである」と述べましたが、高級官僚とはそのリヴァイアサンをも食い殺してしまう、恐るべき怪獣、いや寄生虫です。この寄生虫がはびこれば、皇帝でさえ権力を失いかねない。だからこそ、中国の皇帝たちは知恵の限りを絞って、御史台と言う制度を作った。日本のマスコミは、官僚の不祥事があるたびに「自浄努力を求める」などといっていますが、中国の皇帝たちが聞いたら、鼻で笑ったことでしょ。261

官僚に自浄能力を求めるなんて、ないものねだりもはなはだしい。そんなことは夢物語だというわけです。実際、これだけいろいろ知恵を絞っても、それでも中国の歴代王朝はすべて滅んだ。その根底にはいずれも官僚の害があったと考えて間違いない。そのくらいなら官僚の害は恐ろしいのです。

シマジ だったら、官僚制なんて止めましょう。そうすりゃ、話は簡単ですよ。

いくらなんでも、それは暴論というものだ。いにしえのアテネのように、国家の規模が極端に小さければ役人を国民から抽選で選ぶこともできるだろうが、近代国家を官僚抜きで運営をすることなど最初から不可能な話です。近代官僚制は近代国家とともに生まれたという事実を忘れてはいけません。となると、残された道は何か。

いかにエリート教育を受けたとはいえ、しょせん官僚は優秀な「マシーン」にすぎません。偏差値ロボットです。彼らは過去の前例や既存の法律はよく記憶しているかもしれないが、今までに経験したことのない事態に遭遇したときには、何の役にも立たない。

学校教育は知識を教えてくれるけれども、発想力や創造力までは与えてくれない。マックス・ウェーバーは「最良の官僚は最悪の政治家である」と述べています。どれだけ優秀な官僚であっても、彼らには政治家たる資格、指導者たる資質はない。官僚に政治を行わせるのは、サルに小説を書かせるよりもむずかしい。政治家たちが上手にコントロールして、初めて官僚の力を活かすことができる。その好例が田中角栄です。


もはや日本の運命は決まった。平成13107

では、よい政治家を作るにはどうしたいいのか。どうやったら、真のリーダーシップが生まれてくるのか。その答えはいうまでもありません。「よい政治家を作るのはよい国民だ」ということです。

シマジ 結局、そこに戻ってくるわけですか。

だが、ざんねんながらそれひょういではない。何しろ、これまで見てきたように、戦後の日本人は自らデモクラシーを放棄し、憲法を殺してしまったのです。田中角栄を暗黒裁判にかけたのも、官僚の跳梁跋扈を許したのも結局は日本人自身ではないですか。

その結果、日本はもはや身動きが取れないところまできている。そのことは読者自身が何よりよくお分かりでしょう。デモクラシーを殺した「毒」は、今やありとあらゆるところに回っています。家庭を見れば、子が親を殺し、親が子を殺すのが日常茶飯事になった。学校教育においては、すでに学級崩壊は頻発し、いじめによる殺人が横行しているではありませんか。外を歩けば、いつ刃物を持った少年に襲われるかわからない。これもまた振り返って見れば、すべて日本人自身がデモクラシーを放棄したことにつながってくるとは思いませんか。

今の日本はパイロットなき飛行機、船長にいない巨船のごとき状態です。このまま行けば、かのタイタニックと同じ運命にたどることになるのは誰の目にも明らかです。果たして日本という巨船が沈没するのが何年後かはわからない。

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しかし、そのときは刻一刻と近づいている。残念ながら、今の日本を診断する限り、一つもいい材料は見つからない。それが私の偽らざる心境です。

シジマいったい、どうしてここまで悪くなったんでしょう。

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「日本人に憲法を作る資格は無い」とGHQはかんがえた 

そのことを考えるとき、どうしても逆手と売れないのが「戦後デモクラシーの構造的欠陥」と言う大問題です。もっとはっきり言うならば、日本国憲法の構造的欠陥なのです。この事実に向き合わない限り、問題の本質は見えてこない。私はそう思います。


日本国憲法が民主主義を殺した!

昭和22年(一九四七)年53日日本国憲法は施行されました。この日本国憲法が当時、日本を占領していたGHQの手によってその原案が作られたと言う事実は、今さら述べるまでも無いでしょう。

当時のアメリカ人たちは、「日本人には民主主義憲法を作るだけの能力は無い」と判断して新憲法の条文をすべて作り、それをそのまま交付するよう迫りました。これに対して日本の政府や議会ではさまざまな抵抗をしましたが、結局のところ、ほぼ大筋において合資して日本国憲法が制定・公布されたというわけです。

こうした経緯で作られた憲法ですから、その正当性、合法性に対しては賛否両論があって、いまだに決着が付いていない。

駐留軍は「天皇教こそが民主主義の敵」と考えた

「占領下の日本には真の意味での主権は無かったのだから、そこで公布された憲法には正統性が無い」と言う意見を述べる人もあれば、また「確かに制定のプロセスはもんだが、当時の日本人はそれを歓迎したし、現にそれが憲法として半世紀続いたのだから、問題はない」と言う弁護論もある。

この問題について述べていけば、それだけでも分厚い本が何冊も作れるくらいです。

しかし、今はこのことについてあえて述べません。それよりも今、私が問題にしたいのは、こうして作られた新憲法が戦後のデモクラシーにどのような影響を与えたかと言うことです。

そこで結論を先に言うならば、戦後の日本デモクラシーが失われることになった真の原因は、実はこの憲法そのものにあったと言うことです。

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シマジ、途方も無いことをおっしゃいますね。だって、日本国憲法は誰が見ても、民主主義の憲法ですよ。民主主義の憲法が民主主義を殺すなんて、そんな馬鹿な。

ましてや、民主主義の本場であるアメリカ人が作った憲法なのだから、デモクラシーの精神に間違いがあるはずが無い。そう君は言いたいのでしょう。

ところが、そこに実は大きな誤解がある。日本国憲法の本当の問題は、アメリカ人がこの憲法の原案を作ったところにあるのです。といっても、それは「押し付けた憲法だから駄目だ」と言った簡単な話ではない。もっともっと根の深いものなのです。


アメリカ人はデモクラシーも資本主義も知らない

先ほども述べたとおり、日本国憲法の原案を作ったのは当時、日本を占領していたGHQのスタッフでした。マッカーサー元帥の命を受け、GHQ民生局のケーディス陸軍大佐を中心に憲法法案の制定作業が行われることになったのです。

このような作業はいわば突貫工事のようなものであったし、またスタッフも憲法の専門家とはいえない。だから批判しようと思えばいくらでも出来るけれども、今はそれには触れません。

ただ全体としてみれば、彼らは自分たちの作った憲法に満足していたようです。のちにいろいろな研究者が彼らにインタビューを行っていますが、おおむね誰もが「恥ずかしくない憲法を作った」と答えています。

彼等制定スタッフは、無邪気とも言えるほどの「善意」を抱いていた。だが、ダンテ曰く「地獄への道は全で舗装されている」。この「善意」こそが、実は危ない。と言うのは、およそ憲法を作るのにアメリカ人ぐらい、それにふさわしくない人たちはいないからです。アメリカ人ぐらい、民主主義がわかっていない国民もいない。

シマジ、何ですって!アメリカは民主主義の本場じゃないですか。

確かに、それは紛れも無い事実です。ロックの社会契約説を実現し、世界で最初の人権宣言を出したのはアメリカ人だし、日本のみならず世界中がアメリカこそ民主主義のお手本だと考えている。

またアメリカ人自身も、民主主義と資本主義を世界中に広めたがっている。しかし、アメリカぐらい民主主義や資本主義研究の遅れている国は無い。これもまた事実です。

なぜならアメリカでは民主主義も資本主義も、あまりにも当然のことであって、それは空気みたいなもの。そんなありふれたものをわざわざ研究してみようと言う気にはなれなかったのは無理も無い。

実際、アメリカ民主主義に関する本で、名著と言われるものは総てアメリカ人以外の人間が書いています。古典では、フランス人のトックヴィルの書いた「アメリカのデモクラシー」がもっとも有名ですが、この地にもイギリス人が優れたアメリカ研究を残していいる。資本主義の研究にしても同じで、資本主義後進国ドイツの学者が書いたものが基礎になっています。

シマジ、そういえばヴェーバーもマルクスもドイツ人ですね。


アメリカ民主主義は予定説である

日本国憲法は民主主義や資本主義が空気のように自然に機能しているアメリカに生まれ、育った連中が書いたものである。この事実は決して見過ごすわけには行きません。彼等アメリカ人は、さながら野の花のごとく、民主主義はどこにでも咲くものだと信じて疑わない。

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民主主義で無い国をみると「どうして民主主義にしないのだろう」と無邪気にも思ってしまう。民主主義は優曇華の花のようなものであるとは思わないのです。

もちろん、そのアメリカにしても民主主義が本当に定着するまでには時間がかかった。合衆国憲法の条文のどこにもデモクラシーと言う言葉が書かれていないことを見ても分かるように、最初からアメリカにもデモクラシーがあったわけではない。

彼らにしても、デモクラシーは戦い取ったものだった。それは事実です。

しかし、アメリカ人の心情の奥の奥を探っていくと、彼らは言うなれば「デモクラシー予定説」つまり、どれだけ困難が待ち受けていても、いずれはデモクラシーは必ず実現する。世界中がやがてはデモクラシーの覆われると信じている。だからこそ、今でもアメリカはデモクラシーの普及に熱心なのです。

シマジ、デモクラシー予定説!アメリカ人にとって、デモクラシーは信仰なのですか。

まさにアメリカはデモクラシー教、資本主義教の総本山です。彼らはカルヴァンが予定説を信じたごとく、資本主義や民主主義の勝利を信じて疑わない。

でも、本当にそんなに簡単に民主主義が誕生するわけではない。民主主義の花が咲くには大変な苦労が必要です。

そのことは伊藤博文の苦心を見れば、すぐに分かります。伊藤は憲法の本場であるヨーロッパを見て回り、日本が憲法を持つのは並大抵のことではないと気付いた。

蒸気機関車や伝統を輸入するのと同じように、憲法を輸入することは出来ないことを知った。そこで、彼はいろいろ考えた挙句に天皇教を導入することにしたわけでです。

ところが民主主義が当然と思っているアメリカ人には、その日本人の苦労が全然分からない。民主主義なんて簡単だと思っていたわけです。

シマジ、タイガー・ウッズから見れば、我々素人ゴルファーがなぜシングルになれないのかが分からないと同じですね。

空を自在に飛び回るワシから見れば、ニワトリが空を飛べないのが不思議に思えてならない。
しかし、ニワトリにはニワトリの事情があるのです。


天皇教は崩壊した

さて、アメリカ人は日本を占領するにあたって、当然のことながら日本の近代史を検討した。すると戦前の日本でも大正時代には民主主義らしきもの生まれていたことを知った。確かに日本民主主義は発進しかかっていた。そこまでは分かった。

しかし、彼らが誤解したのは、その民主主義が完全に離陸できなかった理由です。

彼らは、その理由を天皇に求めました。つまり、天皇が現人神であるなどと言う、ばかげた信仰があるから、日本の民主主義は成熟しなかったのだと考えた。

この要素さえ除去すれば、あとは放って置いても民主主義になるだろうと単純にも思ったのです。そこで彼らは伊藤がせっかく「憲法の機軸」として導入した天皇教を徹底的に取り除くことにしたのです。

すなわち、戦前の日本の立憲君主国家と言う枠組みを完全に変え、天皇を「国民統合の市象徴」にしてしまった。その流れの中、19461月、昭和天皇は「人間宣言」をなさいます。これによって、伊藤の作った天皇教は完全に崩壊した。

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もちろん、こうしたGHQの「誤解」に対して抵抗した人たちは少なくなかった。当時の憲法学者や政治家の多くは、明治憲法の欠陥を修正するだけで充分だという意見でした。実際、時の幣原内閣が設置した憲法問題調査会でも、軍部の独走などを許すことになった規定を改め、国民の権利を保障し、議会の力を強めていけば、それで充分、日本は民主主義になれるはずだという線であったと言われていますが、これはまことに現実的な意見だったと思います。


しかし、こうした日本側の意見に対して、GHQは当然ながら不満をもった。そこで急遽、GHQ側で憲法案を作ることが決まり、その憲法案が今日の憲法の土台になったと言うわけです。


「平等」の誤解はここに始まる

され、憲法から「天皇教」の要素が取り除かれたことによって、戦後の日本は果たしてアメリカ人の言う「真の民主主義国」になれたのか。その結果は、あらためて言うでもないでしょう。今の日本の置かれた現実が何よりも雄弁にそれを証明しています。

そこでもう一度思い出していただきたいのですが、明治憲法作ったときとき伊藤博文は、憲法には「機軸」が必要であると考えた。

つまり近代的な憲法が作動するには、まず平等と言う概念成立しなければならない。しかし、その平等と言う概念はけって簡単に与えられるものではないから、そこで「神の前での平等に代わるものとして、伊藤は「天皇の前の平等」を日本に定着させようとした。

そのためにこそ、天皇は現人神でなければならないと考えたわけです。

ところが戦後の憲法では、「天皇の前の平等」と言う考えは取り除かれ、いきなり「平等」だけが与えられた。このことによって、戦後日本における平等は、非常にいびつなものになってしまいました。

つまり、それは「機会の平等」ならぬ「結果の平等」と言う誤解です。

それが最も悪い形で現れているのが教育現場です。今の日本の教育は「みんな同じでなければならない」と言う、およそ民主主義ではまったく考えられないような思想が支配しています。

シマジ、いまや運動会のかけっこでは、みんな手をつないでゴールするといいますものね。

キリスト教の全知全能の神でさえ、人間をまったく同じには作らなかった。

そんなこおとはキリスト教圏の人々には自明の心理です。デモクラシーにおける平等とは、結局のところ「身分からの平等」に他なりません。法の前には、身分は関係ない。誰もが同じように富を求めることが出来る。

それを平等と言う言葉に置き換えただけに過ぎないのに、その平等と言う言葉が一人歩きして、「誰も彼もが同じにならなければいけない」と言う「結果の平等」にまで拡大解釈された。しかし、それは単なる悪平等です。


真の自由主義とは何か

同じことは「自由」についても言えます。戦後の日本で「自由」は、「何をやっても言い」と言うことだと誤解された。最近では「人を殺す自由」を主張する子供さえ現れています。しかし、デモクラシーにおける自由とは、元来、「権力の制限」を意味しました。

日本においては「自由主義」と言う言葉は実にいいかげんに使われていますが、これはもともと専制君主や絶対君主の権力を制限することから始まったものです。この自由主義を守るための砦が、議会であった。

その議会からやがて民主主義が生まれたことは、本書の読者ならすでにご承知のことでしょう。

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つまり、デモクラシーのどこをどうひっくり返しても、そこからは「殺人の自由」など出てくるはずがないのです。ところが日本では「自由」と「放埓」とは同義語になっている。これも恐るべき誤解です。

自由にしても、平等にしても、それは与えられるものではありません。現に欧米人たちは、自ら平等や自由を勝ち取った。自由も平等も、その前提になっているのは権力との戦いです。

そのプロセスを抜きにして、いきなり自由や平等を与えるとどのような結果になるか。図らずもそれを証明しているのが今の日本なのです。権力と戦うことなく人権を手に入れたものだから、戦後の日本人は権力を監視することも忘れてしまった。

その結果が、かんりょうのどくさいであることが言うまでもありませんが、民主主義とは国家権力との戦いなのだと言うこことが忘れられると、自由も平等もたちまちにして変質してしまうのです。

こうした果てしない誤解が生まれたのも、元を質せば、アメリカ人たちが「善意」からアメリカ流の民主主義憲法を戦後の日本に与えてしまったからに他ならないのです。


「社会の病気」アノミー

天皇と言う「機軸」が失われ、憲法がアメリカ人から与えられた結果、日本に起きたのは「急性アノミー」と称すべき状況です。アノミーとは言うなれば、「社会の病気」です。アノミーが起これば、身体にも心にも異常がなくても、その人間は異常な行動を取るようになる。

まったく健全であるはずの人が信じられないような事をする。このアノミーを発見したのは、社会学の元祖と言われているデュルケムと言うフランスの学者です。彼は自殺の研究をしている過程で、この大発見をしました。

今の日本のように経済が不況になっているときに自殺が増えるのは、誰でもすぐに想像できることです。ところがデュルケムは逆に経済が活況を呈して、生活水準が急上昇したときにも自殺が起こることを発見した。この思いがけない発見を、デュルケムはこう説明しています。

つまり、生活が苦しいなどと言った外面的なことから人間は自殺するのではない。「連帯」を失ったときに自殺をすると言うのです。急に豊かになって生活スタイルが急に変わってしまうと、それまで付き合っていた友人たちとの連帯はなくなります。

前と同じような友達づきあいが出来なくなる。しかし、かといって、その人は新しい友人をもてるかと言えば、そうではない。以前から豊かだった人たちからは「成り上がり者め」とさげすまれるので、そのサークルにも入っていけない。

このため、この人は連帯をどこにも見出せず、ついに自殺を選んでしまうと言うわけです。

ジマジ、貧乏も苦しいけれど、貧乏人が金持ちになると、もっと不幸になる。やっぱり庶民は今のままグータラ働いているほうがいいと言うわけですね。

君みたいな考えを、我田引水と言うんだ。さて、デュルケムはこうした現象をアノミーと名付けました。アノミーは、自分の居場所を見失ったときに起きます。心理学の用語で言い換えるならば、「アイデンティティの喪失によって引き起こされる状況なのですが、これは心の病気ではありません。原因は心でなく、社会にあると考えます。

他人との連帯を失い、自分が何者であるかが分からなくなったとき、人は絶望し、孤独感を味わいます。その孤独感から逃げるためだったら、死もいとわないと言うのです。

267頁、02/3/29 1924


権威がなくなると、秩序は消える

2002年3月30日 7:30:47



定年後農業を
 滝田 好治 発行

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